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2019年10月12日22:23

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猪木とビンス(554)最終章

78年国際プロレス「日本リーグ争覇戦」最終戦は11月30日、千葉公園体育館(テレビ収録、観衆4,000人満員発表)大会。

いよいよ決勝トーナメント優勝決定戦、Bブロック1位ラッシャー木村vsAブロック1位プロフェッサー・タナカの一戦(60分1本勝負)。タナカの凶器攻撃、及びセコンドの外敵ヒール軍(ミスター・サクラダ、ミスター・ヒト)の介入で額から流血したR木村でしたが、これを凌いで11分5秒、バックドロップからの片エビ固めでタナカをフォール。吉原のプロレス生活25周年記念のイベントに優勝を果たし、国際プロレスのエースとしての責務を全うしました。

鶴田とディーン・ホーによる3位決定戦は11分20秒、鶴田が前方回転エビ固めでホーを降して3位に輝いています。

この日はテレビ録りとあってなかなか豪華なスペシャルマッチが組まれています。アニマル浜口vs大木金太郎の一騎討ち(60分1本勝負)は16分1秒、大木が場外でのヘッドバットでリングアウト勝ち。

試合巧者同士、マイティ井上vsキム・ドクの注目のシングルマッチ(45分3本勝負)が実現。1本目は11分48秒にドクが体固め。2本目は3分32秒にM井上が回転エビ固め。決勝の3本目は4分48秒に両者リングアウトとなり1−1の引き分けに終わりました。

この2か月前の9月13日、全日本プロレスの愛知県体育館でドクは鶴田の持つUNヘビー級王座に挑戦し1−1から60分時間切れ引き分け、5分間の延長戦を行うも時間切れ。また、この2か月後の79年1月29日、同じく全日本プロレスの大阪府立体育会館で鶴田とドクはUNヘビー級王座を賭けて再戦し、この時も1−1から60分時間切れ引き分けになっていることを考えると、M井上の3本勝負でのドクとのドローは上々の出来であると思います。 

国際プロレスvs全日本プロレスの対抗戦、グレート草津&寺西勇組vsサクラダ&ロッキー羽田組は16分42秒、足4の字固めで草津が羽田をギブアップさせ、国際軍の勝利。草津は公式戦で羽田に30分時間切れ引き分けで粘られた借りを返しました。

28日の鶴岡大会は試合が組まれなかった石川孝志がこの日は出場、ヒトと組んでグレート小鹿&大熊元司組と対戦し15分33秒、両チームリングアウトとなっています。

日本リーグ争覇戦を制したR木村は試合後のコメントで「今行われている新日本プロレスのプレ日本選手権の優勝者と対戦したい」と表明。これは即ち72年10月の全日本プロレス旗揚げ時から6年間続いた吉原と馬場の交流が打ち切られたことを意味しました。

全日本プロレス旗揚げ時は所属選手の少ない全日本プロレスに選手を貸し出すなど優位に立っていた吉原ですが74年1〜3月に起きたストロング小林の離脱、TBSの放送打ち切り、大剛鉄之介の事故とトリプルショックに見舞われ、窮地に陥った時に馬場が大熊、高千穂明久、サムソン・クツワダを連れて国際プロレスのシリーズに参戦した時にパワーバランスは逆転。

以後の対抗戦では馬場にマッチメークの主導権を握られて一転形勢不利に。それでも耐えて来たのは自主興行を打つよりもR木村、草津、M井上が全日本プロレスの興行に出た時に出るファイトマネーが収支では上回って来たからです。

全日本プロレスとの抗争もマンネリ化、鶴田以下主力が参戦した日本リーグ争覇戦も11月25日の蔵前国技館大会が不入りで吉原が新しいビジネスパートナーに新日本プロレスを選んだのは企業存続のためには仕方ない選択肢だったのでしょうか。

一部で言われているミル・マスカラスのレンタル参戦謝絶の件も1つの要因かと思います。

日本リーグ争覇戦は翌12月1日、後楽園ホールから全日本プロレスが「世界最強タッグ決定リーグ戦」を開幕させる為、11月一杯で終わりにしなければなりませんが、最強タッグに国際プロレス勢がエントリーされなかったことで国際と全日本の決別を予想したファンも多く、吉原は「禁断の果実」新日本プロレスとの交流に走っていくことになる訳です。
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