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2020年05月16日23:56

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「他者の苦痛へのまなざし」スーザンソンダグ

誰か信用するジャーナリストか作家が、この著作を引いていたのだが、思い出せない。
僕はいつも、他者の痛みを感じることは、自分にはわからないと認めることから始まるはずだが、もしかするとその感覚(というのは他者にはなれないからだが)は、何事も受身の自分の性質を隠そうとあるいはつきつけられたくないという逃げの姿勢、あるいは社交辞令の面倒から逃れたいからだろうなという思いと、わからないからこそ思いやれるのだという、外形的には何もしないことを正当化するような開き直り的な思いに挟まれて、立ち竦む。

だから、この「他者の苦痛へのまなざし」を素通りすることは出来なかった。

戦争や紛争の映像は、平和に暮らす僕らにとっては、リアルであればあるほど訴える力があると同時に、あまりに自分の日々の現実と違うため現実感を削ぐ危険がある。
しかし、巨悪や不正が引き起こす苦しみは現前としてあり、それに反応しうる良心を鼓舞するために映像は必要である。
「人間は他者の苦しみを、距離を置いた地点から生々しさを削ぎ落した形で経験する権利はない」が「誰かを殴ることはそれについて考えることと両立しない」つまり「権利はない」が、考えることなくして殴ることをやめることは出来ないのだ。
そして「残虐行為に驚き幻滅する人間には道徳的な欠陥がある」、つまり残虐行為に唖然とするのではなく、まずは実際に行われたのだと認識しなければ、僕らは彼らへの責任を果たせない。

アメリカの独善について彼女は言う。
「自国の戦死者は見せないが、他国のそれには配慮しない」
「アフリカ人を奴隷にしたという犯罪を記録する博物館を持たない」

むろん、答えは出ない。答えは出てはならないのだ。
「あなたたちには理解出来ない。あなたたちには想像出来ない。戦火のなかに身を置き、身近にいた人々を倒した死を幸運にも逃れた人々、そのような兵士、ジャーナリスト、救援活動者、個人の目撃者は断固としてそう感じる。その通りだと、言わねばならない」
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