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2019年06月14日12:27

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高取正男『神道の成立』

 高取正男『神道の成立』(平凡社ライブラリー、1993年)を読了。記紀が編纂された当時かそれ以前、日本が東アジアの国際社会を控えた仏教という普遍世界へと政治的・宗教的にも開かれていこうとしていた。しかし、いざその普遍的なものが日本の特殊性に侵入しようとした時、否応もなく違和感が生じた。
 聖武・称徳期における仏教政治への反撥もあり、貴族たちはその排仏感情を儒教や道教という別の外来思想から語彙体系を借り、やがてより自覚的な排仏の思想へと練り上げていった。そうして奈良末・平安初頭に貴族社会で禁忌が増幅され、吉凶(儒教・陰陽道)や浄穢(仏教)という外来の対立概念が忌みの意識を理論化して体系化するのに力あった。しかし、平安初頭からこちら、死穢に神経質であったのは中央政府で、庶民はかなり無頓着だった。
 民間にあって死穢を忌む習俗は早くて中世中期以降で、その頃には自足的かつ定住的な村落結合が形成されていった。生活の安定が確保されるに連れ、村は万事に防衛的であって警戒心の塊のようになった。この中で民間宗教家たちは村に不幸の因が入らないようにとの願いに応え、都の貴族や僧侶、神官たちの手で整備されたものを更にアレンジし、様々な教説と加えて無数の禁忌を村々にもたらした。
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