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2016年08月25日16:37

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障がい者殺傷事件に思うこと

障がい者殺傷事件については、いろんな人がいろんなことを言ってる。
私も自分の気持ちや考えをここで書くことで整理したい。

障がい者は社会のお荷物だという考えがある。だがそうではなく逆に彼らに感謝すべきなのだという考えを知り、以来私はとても気持ちが軽くなった。
長くなるかもしれないが障がい者のことを考え始めたころのことから書こうと思う。

高校生の時友達に誘われて軽い気持ちで障がい者施設にボランティアに行った。当時はボランティアとは言わず奉仕活動だったか。
知識も何もなかったのに、行ったのはとても障がいが重い子どもの施設「島田療育園」。
ひたすら洗濯物をたたんだ。その部屋にはもわ〜っとした空気に独特の匂いがあった。
子供たちに食事をさせてあげるという仕事が、頑張ったご褒美だった。
素人の高校生が介助させてもらえた子供たちは、この施設では障がいの度合いが軽い子たち。
介助といっても自分で食事ができる子はいなくて、体をまっすぐに保つことも難しく自分の意志とは無関係に顔の向きも変わるので、ドロッとしたおじやのようなものをスプーンで根気よく口に入れてあげるのが大変だった。
でも食べる意思があるので私でもなんとかできた。もっと重い子はプロの人でないと無理とのこと。
一番軽い子たちでこれということに驚いた。

その後施設の方が「この施設には年齢制限がない、何故なら成人に達するまで生きる子はほぼいないから」と言ったのでショックだった。
四肢欠損の赤ちゃんが小さな椅子に座っていた。可愛らしいと思った。表情がほかの子と違った。「この子はサリドマイド児で、育児放棄のため緊急事態としてここで預かっているが、引き受けてくれる施設を探している。ここはこういう軽い障がいの子の施設ではないから。」という説明を聞いてさらにショックだった。
当時サリドマイドのために障がいを持って生まれた子が何人もいて報道で知っていたが、私は障がいが軽いと思ったことはなかった。

帰りのバスには小学生が乗っていて、元気いっぱい騒いでいた。あの子たちとの違いを見せつけられ気持ちが沈んだ。
以来ずっと、ああいう子たちが生きている意味って何だろうという問いを繰り返し考えたが回答が見つからなかった。

いつだったか、たまたま図書館で借りた本を読んである文に感銘を受けた。返してからじわじわと心に響いてきて、題名も著者名もすっかり忘れたことに後から気づいたのだった。著者はお坊さんだったように思う。

どんな内容だったかというと。
『生き物は個々ではなく一つの種としてあるものだということに、自然を観察しているうちに気付いた。植物、動物、虫、個々を観察していると強いものや弱いものがばらばらにいるように見える。でも全部まとめたとしたら、必ず標準的なものが多く、グラデージョンのようにそこから少しずつ弱い方と強い方になっていく。同じ形や能力だけの種はいない。
多数の似たような個体が出来るためには、そこから外れていく個体が出来るのは自然の摂理。
人間は大多数から外れた弱い方を障がい者としているが、障がい者が生まれるのはだれが悪いのではなく当たり前のことで生まれた当人に何の責任もない。
種として考えたらいるのが当然の存在。どうしても存在するのにあなたがそうでないなら、それは引き受けてくれた誰かがいるから。
大変な生を引き受けることになった人たちに、そうでない人は感謝すべきなのだ。』
というようなことだったと思う。

障がいを持って生まれた人に「引き受けてくれてありがとう」なんて言っても、「選べるのなら引き受けたくなんてなかった」と言われると思う。
それでも、彼らが生まれたことにどんな意味があるんだろう、とずっと考えてきた私に答えを与えてくれた言葉だった。

あなたたちの生には意味があります。誇りをもって生きて下さい。ありがとう。


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