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2016年04月24日15:20

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開催10周年を迎えた「東京ラジオ歌謡音楽祭」が今年も盛大に開催

 4月23日に第10回東京ラジオ歌謡音楽祭が開かれた。
 主催は「一般社団法人東京ラジオ歌謡を歌う会」。今年で音楽祭の開催は十年を迎えた。
 オープニング2曲、ラジオ歌謡12曲、ラジオ歌謡と間違えられる局6曲、ラジオ歌謡デュエット6曲、会場全員での歌唱(5曲)、ゲストコーナー、エレクトーン演奏によるラジオ歌謡12曲、エンディング2曲という豪勢な構成で4時間超のプログラム。東京北区王子の北トピア会場はおよそ1000人のファンの熱気であふれかえった。
 「終戦翌年の昭和21年5月、荒廃した日本人の心に夢と希望を与えようと歌番組「ラジオ歌謡」がNHKラジオ第1放送からスタートした。「ラジオ歌謡」とは基本的には、この番組で流された歌をいう。一日10分、週5回で1曲の放送が多かった。よく知られている歌は、「朝はどこから」「山小舎の灯」「夏の思い出」「さくら貝の歌」「あざみの歌」「白い花の咲く頃」「山の煙」「森の水車」「チャペルの鐘」「雪の降る街を」などで、16年間続いた。全部で846曲(そのうちオリジナル曲は783曲)放送された」と、工藤雄一日本ラジオ歌謡研究会会長がかいておられる。
 だが、ラジオ歌謡は戦後の復興が進むにつれて、歌の流れが多様化したことから、方向を失ったように1962(S37)年に放送を終える。時が過ぎ、振り返ったときに、このラジオ歌謡の果たした意義の重大さに気づき、同時に残された資料の少なさに驚かされた。各地でラジオ歌謡の研究が各地で生まれてくる。東京では、当日にすばらし歌唱を何曲も披露してくださった神尾善子「東京ラジオ歌謡を歌う会」が現在の姿のきっかけをつくっていた。背後では長期の丹念な調査資料の収集を行い、全容を整理するとともに、歌の掘り起こしの再現復刻活動をされている。
 ファンの耳にだけ残っていて音源や譜面・歌詞のさだかでないよう場合でも、NHKはじめ全国のファンに訴えての作業である。近年はそうした努力がレコード会社と連携して代表曲のCD復刻もされている。
 当日に紹介された歌でも、唄い継いでゆこうという意図が感じられる選曲が多く登場している。それを有志が一年かけて準備をし、練習に練習を重ねて当日に臨んでいる。年代を超えた多くの方の出場と来場は、こうした地道な取り組みにがいなしたものである。
 紹介された歌曲で、幾度も出てくるのは作曲家八洲秀章だ。当日も「りんどうの花咲けば」「毬藻の歌」「あざみの歌」他が歌われた。そしてそのご家族である沢木順と松村美和子両氏がゲストで登場された。
 また十周年の華のように俳優宝田明が今年のメインゲスト。
 宝田明は1934年生まれ。満州帰り。日本を代表するミュージカル俳優といっていい。近年のきなくさい日本の政情について遠慮なく警告をいい、反戦の意を表明していることでも話題の方だ。当日ラジオ歌謡の「あざみの歌」「さくら貝の歌」ととにも、作詞を自ら行い平和を訴えて各所で歌っている「私の願い」が披露された。
 みんながいつも平和を望んでいるのに、なぜ戦争は絶えないのか…と、沢木順のやさしく素直な作曲で歌う。
 媚ることなくすなおに自分の体験をもとに、戦争は絶つべきという意思を表明されていた。

 フランク永井のことに特化した当「フランク永井あれこれ」に、ラジオ歌謡の話題を取り上げるには経緯がある。それはフランク永井の熱心なファンのひとりで、ラジオ歌謡の深い研究を重ねておられる方がおられ、いつもこの時期の紹介してくださるからである。当日には「帰郷の歌」(S25)を披露された。
 フランク永井ファンも同じだが、メインは年代的に高齢な方が多いのだが、あの時代はラジオからの歌が生活の一部であり、こころの持ち方のようなものに大きく影響を受けた。歌からだけということではないが、人としての尊厳と矜持をもって生きることの大事さを知った気がする。そのようなことが現代の空気には薄くなっているよう感じる中で、時代を振りかえって、そこに何があったのかを見たような気がした一日であった。


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