mixiユーザー(id:6806513)

2015年06月13日21:25

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湯浅誠「なぜ活動家と名乗るのか」

生き抜くことが比喩でない「闘い」になる過酷さを、君らは見ないふりをしている、と彼は言う。

自己責任を叫ぶ人々がいる。
「仕事を選ぶから、ないんだ」
彼らは、仕事を選べなくなったことがあるだろうか?
人生の<勝者>となった彼らは、自分の「社会的な」責任を果たしているだろうか?

労働市場の崩壊は、国家経済の崩壊を招く。当然だ。
選べない仕事しかなくても、人は生きていく。
働けなくなれば、わずかなセーフティネットを利用する。国民の権利だ。
財政は破綻する。
しかし「だから」最低限の生活が出来る労働市場がなくてはならない、のではない。
すべてを「経済効率」に還元する思考は病んでいる、と思う。

湯浅は違う。
そんな社会でいいのか?と問う。
自己責任論とは「オレは関係ない」の言い替えに過ぎない、と言う。

誰かがまともに暮らせない社会だから、財政が破綻する。
財政が破綻しないために、みんなをまともに生活させるわけじゃあない。
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