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2024年04月17日11:44

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小津安二郎監督の「晩春」をまたまたみて〜西暦2024年卯月蝶人映画劇場 その5

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3599


見るたびに、いろいろな発見とさまざまな感慨が浮かんでくる映画です。

私はこれまで笠智衆の父親と原節子の娘が住んでいるのは北鎌倉だと思っていたのですが、そうではなく鎌倉でした。海まで14,5分という会話が出てきましたから、長谷辺りではないかと想像しました。

冒頭いきなり出てくるのが北鎌倉の駅のプラットホームと円覚寺なので、ついそうだと思い込んでいたのですが、原節子は円覚寺のどこかで開催されるお茶の会に出席していただけなのでした。昭和24年1949年現在の古都と、古刹の古雅な光景は鎌倉だけでなく、京都の清水寺や龍安寺も登場してきて、懐かしさを誘われますが、よくもこんな観光名所でのライブ撮影ができたものだ。今では到底考えられませぬ。

でももっと懐かしいのは、原節子が自転車に乗って稲村ケ崎を越えて七里ガ浜まで遠乗りする国道134号線の砂浜の今とは打って変わった静けさです。

コカコーラの広告塔がぽつんと立っている道路を、春風に向かって走る原節子の、なんと若々しく美しい笑顔でしょう。ここでは小津と彼のミューズである原節子と映画が、完璧に三位一体化して、永遠の生命に輝いています。

この映画の冒頭は、父と娘が鎌倉から横須賀線に乗って東京まで通勤するシーンです。
キャメラは大船から横浜、川崎、新橋へと走る電車の全景、多摩川にかかる鉄橋をとらえ、はじめは車内で立っていた二人が、まず父親が大船辺りで座り、娘は横浜辺りで座るところをとらえています。

私も長い間この電車に乗って通勤していたので、こういう感じはよくわかるのです。
娘は岩波文庫を読んでいるので、かなり知的な女性だということが分かります。

それから東京の大学で教授をしている笠智衆の父親と彼の教え子との会話もおもしろい。ドイツの経済学者のリストの綴りは作曲家のリストとは違うという話をしています。

物語はご存じのように片親の27歳になった娘と彼女の将来を案じ、どこかへ嫁がせようとする父親との、フロイトの所謂エレクトラ・コンプレック的な葛藤です。

この映画の原作は広津和郎の「父と娘」ですが、映画では最後まで娘の結婚相手が登場せず、そのことが逆に、この映画の主題の深刻さを浮き彫りしているような気がします。

二人が見物する観世流の能「杜若」のシーン。幻の名人の名人芸をBGMにして、愛する父を他の女に奪われるという娘の黒い疑心暗鬼が広がり、そのクライマックスが、京都の宿での父娘相姦?ということになるのですが、小津はいくらなんでもそこまで描こうとしたのではないでしょう。

ぐわあぐわあと鼾をかいて寝込んでいる笠智衆を悶々と見据えている原節子を、黙ってみている壺こそは、かつて原節子を熱愛して北支に散った山中貞雄の遺作「丹下左膳余話」の百萬兩の壺とする、平山周吉さんの空想のほうが百万倍もリアルですが、ただし娘というより一人の女の、その激情のどす黒い傾きは陰に陽に感じられ、怪しく揺れ動く処女の激情を、原節子が見事に演じています。

ラストの嫁入りの挨拶は泣かせますが、嫁がせた父親の悲嘆をリンゴの皮むきで代置するのは、笠が大泣きの演技を断ったからという事情を勘案してもやはり無理があり、その感銘を遺作「秋刀魚の味」の終幕に譲ります。

劇伴音楽は、お馴染みの斉藤高順ではなく伊藤宣二ですが、その主題に無関心なまでに能天気な「晴れた音楽」の付き合わせ方が、斎藤とまったく同質であり、それが小津の狙いであったことを、はしなくも物語っているようです。

   黄砂ある雷雨のはずが朝から晴れ気象庁も時々狂う 蝶人


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