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2022年12月29日08:14

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白石太一郎『考古学と古代史の間』

 白石太一郎『考古学と古代史の間』(ちくまプリマーブックス、2004年)を読了。大和と河内は朝鮮半島から玄界灘沿岸、瀬戸内海沿岸を経て近畿中央部に至る水上交通路の終点だった。また、そこから東日本に至る陸路の起点でもあり、交通の要衝を占める有利な地理的条件にあった。
 近畿中央部から瀬戸内海沿岸各地の勢力は鉄資源などの安定的な入手を確保しようとし、日本列島で最初に広域の政治連合である邪馬台国連合を形成した。その連合は鉄や先進的文物の輸入ルートを独占していた玄界灘沿岸勢力から支配権を奪い取った。連合の盟主権を握った邪馬台国の王は、倭国王として外交権を委ねられ、輸入文物の分配権をも掌握した。
 政権は卑弥呼のような宗教的・呪術的権威に寄り掛かる面が多かったので、ある意味では非常に脆いものだった。政治的中枢にいた人たちは、特殊な宗教的権威に頼らなくても政治連合の体制が維持できるようなシステムの整備を図った。革新された政治連合はヤマト政権になり、古墳の創出も新しい政治秩序・政治体制を整備する一環に他ならず、連合の範囲は飛躍的に拡大した。
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