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2021年09月24日09:20

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正岡子規著「仰臥満録」を読んで

照る日曇る日第1636回

「仰臥満録」は、「墨汁一滴」「病床六尺」と並ぶ子規晩年の遺作である。

時系列でいうと、まず「墨汁一滴」が、明治34年の1月13日から7月2日まで「日本」紙上に連載され、ついで私家版の「仰臥満録」が、明治34年9月2日から間歇的に35年7月29日まで、最後に「病床六尺」が、明治35年5月5日から子規命終2日前の9月17日まで、再び「日本」紙上に連載された。

ただし、本書「仰臥満録」が他の2書と異なるのは、それが、生前メディアに発表されることなく、秘かに書き継がれた完全にプライベートな遺物であることと、その中に自他の俳句作品の他に、草花の絵やスケッチやメモ、雑誌の切り抜きなどが含まれていること、である。

既にして重篤な寝た切りの病人であった子規は、土佐の俳人が送ってくれた贅沢な大版半紙を見て、生前最後の「極私的詩画の世界」に羽ばたこうとしたのであろう。

集中の白眉はいうまでもなく「大雨恐ロシク降」り、その後晴れた明治34年10月13日の記録である。

妹律が風呂に、母が電報を打ちに行ったために一人きりになった子規は、頭の左側に「二寸許リノ鈍イ小刀ト二寸許リノ千枚通」を発見し、こう思う。

この小刀で喉笛を切り、この錐で心臓に穴を開ければ死ぬことは出来るが、長く苦しむだろう。「死ハ恐ロシクハナイノデアルガ、苦ガ恐ロシイノダ。病苦デサヘ堪ヘキレヌニ、此上死ニソコナツテハ、ト思フノガ恐ロシイ」のである。
命の瀬戸際で、冷静な思考によって鬼気迫る大惨事を未然に防いだ子規だったが、しかしおらっちが一番恐ろしかったのは、その文末に添えられた「二寸許リノ鈍イ小刀ト二寸許リノ千枚通」のリアルな挿画であった。

  たまさかにアオバセセリが生まれたが妻に会えずに命尽きたり 蝶人

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