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2021年07月01日16:01

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片山杜秀『尊皇攘夷』

 片山杜秀『尊皇攘夷 水戸学の四百年』(新潮選書、2021年)を読了。水戸徳川家は副将軍家として如何なる犠牲を払っても江戸の徳川将軍を守護し通すように神君たる徳川家康から命じられた。豊かな藩地も与えられぬまま無理難題だけ押し付けられ、ここに水戸学の発生する動機が生まれた。
 水戸学は徳川将軍を守り続けねばならない理由を探して天皇を発見した。天皇が絶対正義・永遠なら、その天皇に日本の統治を委任された将軍も絶対性を帯び、今後も永遠で有り得て将軍を守護する行為も、絶対の正義となってそれならば殉じられる。水戸学はまず天皇が絶対正義であるのを歴史的に検証しようとしたが、歴史主義は相対主義を克服できず、三種の神器に超越的な性格を与え、それを所持すれば天皇は文句なく絶対正義との神学を持ち出した。
 すると、次に考究されるべきはこの超歴史主義を歴史主義とどう弁証させるかだった。しかし、ロシアが来てしまい、非常時が到来すれば矢面に立つのが水戸徳川家だったので、水戸学には歴史を検証する暇はもうなく、天皇絶対の論理で徹底武装して国難を乗り切ろうとした。水戸学の学者たちは過激な尊皇攘夷を打ち出し、皇国たる日本の正義を過剰なまでに追求した水戸は、戊辰戦争に先駆けた水戸大戦争で自壊した。
 最後の将軍である徳川慶喜も水戸の者で、少年である明治天皇を自由自在に操ろうという人ではなかった。尊皇で純粋培養された彼は、承詔必謹の忠臣たる以外に振る舞いようを知らなかった。手をこまねいている内に天皇を倒幕勢力に取られてしまうと、慶喜は途端にやる気を失った。
 朝敵の汚名を一瞬たりとも背負うことは、水戸の人間には堪えられなかった。慶喜は水戸学の歴史観に基づいて大政を奉還した。承詔必謹の精神は維新後も軍人を律して国民を導き、昭和二十年の敗戦となっても反乱は少なく、高ぶっていた者たちも立ち所に恭順した。
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