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2018年07月09日15:37

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最首悟「植松青年には言わねばならない」創8月号

月刊「創」
この雑誌は35年以上必ず読んでいる。
世間の趨勢に必ず疑問符を投げる、政治色のない、難解でもない、まっとうな雑誌である。
年に何回か、ほんとうに素晴らしい寄稿が掲載される。
今月号は、相模原事件の被告植松聖の手紙による質問に公開回答した、最首氏の寄稿である。最首氏は、41歳の重複障害の娘を育てている。
植松被告の質問は「自分の意思を示せない<心失者>は安楽死させるべきと確信して事件を起こした。<心失者>をまさに養育しているあなたは問題解決を目指していないのではないか」というものだ。

どんな人格者でも、怒り狂うか無視するかしか出来ないと思う。
しかし最首氏は、きちんと植松被告に回答する。憎しみで目を曇らせない。
【そもそも安楽死とは本人の意志があることが条件であるのだから、定義が間違っている。自分が生まれてきた「わからなさ」の中にこそ、大切な回答がある。そのわからなさの中に希望がある。そもそも自分が<心失者>になる可能性があることをわかっているのか】
と、
中動態(「茶碗が割れました」等の人称をはずしたニュートラルな表現)や、
中原中也(息子を亡くしたときに詠んだ「目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた」という表現に「わからなさ」の温和な形がある、という詩)や、
シモーヌヴェイユ(世界にたった1人いるとせよ。さすれば義務のみがある)を引きながら、書く。

非常に説得力がありながら、結局「わからなさ」が希望なんだと、読む者を畏れ入らせない。
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