毎月第2水曜日の17時以降はアフター5女子割、女性の入館料\1,000。私自身がこれを狙って美術館に行っているので文句は言えないが、当然、女性客でごった返している。しかも前日は帰宅が遅くて早く寝ることばかりを考えていたので準備が甘く、チラシも単眼鏡も
2007年に西洋美術館で開催されたムンク展の印象が心に強く残っている。それを超える展覧会にはならないだろうという予感があり、展覧会よりもむしろグッズを目当てに、夜間開館を狙って美術館に到着。夜なので、「叫び」来日!のわりには空いているが、「叫び
タイトルを見て最初に連想したのは平安時代に権勢を誇った藤原道長の「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」だったが、実際は中世の仇討物語だった。主君が討たれたのちに宿屋の主人になったシテ。彼が営む宿屋にやってきたの
ルーベンスの絵はあまり好きではないし、ベルギー・アントウェルペンのルーベンスの家や聖母大聖堂にも行ったし、日本でも何度か回顧展を見ているし、今回は別に行かなくてもいいかな・・・と思いつつ、見逃すのも惜しいような気がして、結局美術館に足を運ぶ
展示総数130点。ボナールの画業を概観するには十分だが、平面的で静謐で、形や色があいまいな作品をどう受け止めればよいのかが分からないままだった。それはそれで、分からないなりに感じたこと、気付いたことをメモしておきたい。第1章 日本かぶれのナビボ
プログラムに書かれたあらすじを読んで、不安になった。登場人物や出来事が多く、ごちゃごちゃしていてちっとも頭に入ってこない。そもそも原作自体が脈絡のない突飛な物語だ。これをどうやってバレエで表現するのだろう?幕が開いてしばらくは不安なままだっ
梵天、帝釈天、閻魔法王から、天照大神、三島明神、箱根権現、浅間神社、熊野権現、蔵王権現、石清水八幡宮、伏見稲荷、八坂神社、下賀茂・上賀茂神社、貴船神社、松尾大社・・・これだけの神様に誓って「討たない」と言いつつ、ちゃっかり源義経を討つ準備を
2018/2019シーズン、大野和士芸術監督就任初年は新制作のモーツァルトで開幕。素描風の背景の上を白1色のライトが自由に動き回る舞台装置で、木炭で塗りつぶした画用紙の上にチョークで絵を描いていく過程を見ているようだった。色使いがシンプルなので、魔笛
新宿駅構内で、サルバドール・ダリの作品を配したポスターに目が釘付けになった。「ポルト・リガトの聖母」。妻ガラを聖母に見立てた宗教画でありながら、ダリらしい奇抜さに満ちている。聖母子の胸部が長方形にくりぬかれて、遠くの水平線が見えるのが印象深
縁あって出演者さんのご主人からチケットを譲っていただき、クラシック好きの職場同期と一緒にピアノとヴァイオリンのコンサートを聴きに行った。ドビュッシー:前奏曲集 第2巻より 「ヴィーノの門」「妖精たちはよい踊り子」「風変わりなラヴィーヌ将軍」曲
8月18日(土)今日も快晴。昨日よりも暑いが、今までの酷暑と比べればずっとましだ。嵐山に泊まったものの、嵐山はここ数年かけてとりあえず一通り歩いたので、今回はどこも回らず、宿をチェックアウトしてすぐに京都駅へ。駅で荷物を預け、地下鉄に乗って本
8月17日(金)ゆっくり朝食をいただいた後、ホテルをチェックアウト。荷物を預けて外に出る。日差しが強く、風も強い。幸いにも気温と湿度が低いので、日影を選べば屋外でも快適だ。まさか夏の京都で過ごしやすい日があるとは(笑)。相国寺承天閣美術館:元
五山の送り火を見るために京都へ。京都の夏が暑いのは承知しているが、京都に行くことを決めた当初は今夏の殺人的な酷暑はもちろん想定していなかった。直前の週間天気予報を確認すると、私が京都に滞在する8月16日から18日は35度を超える気温ではなさそうだ
2月に早割りチケットを購入、5月末に展覧会が開幕したらすぐに足を運ぶつもりが、仕事が忙しくて美術館に行く時間が取れなかった。8月に入ってようやく時間的にも精神的にも余裕が出て、世間が夏休みムードになり始めたお盆直前の金曜日、何とか閉館1時間前に
名曲中の名曲と言われたけれど、いまいちピンとこない。節回しがキレイなところもあるのだろうけれど、ストーリーとして全然面白くないので、興味を持てなかった。夫が都に行ったきり3年も帰ってこないのをただ待つだけというのは、どういうことなのだろう。
音楽的には、アンヴィル・コーラスやメインキャスト4人によるそれぞれの高度なアリアなどが散りばめられ、とても華やか。しかし、ストーリーが中途半端で、面白い作品だとは思えなかった。貴族と民衆(あるいはジプシー)の対立、三角関係、出生の秘密、呪い
以前、ロンドンの美術館に行って肌で感じたのは、ターナーが国民的な画家として熱烈に愛されているということだった。その理由が今回の展覧会で分かったような気がする。ターナーはイギリス国内の非常に多くの場所を訪れ、その土地のランドマーク的建築物を描
フィデリオは何度か見ているものの、細かいところまでは覚えていないので、今回のプロダクションが従来の一般的な演出とどう異なるのかを比べることはできない。それにしても、戸惑う展開だった。フロレスタンとレオノーレがピツァロに刺されるのはともかく、
展覧会のサブタイトルは「旅するフランス風景画」なのだが、鑑賞していて「旅をする」感じはしなかった。そもそもフランスの地理が分からず、パネルに地図が表示されていろいろ説明も書いてあるのだけれど、各地域の特長を知らないので、その地域で描かれた絵
「安宅」と言えば「安宅の関」、「安宅の関」と言えば勧進帳。勧進帳を朗々と読み上げ、主君をあえて打擲する弁慶の姿に心打たれ、奥州へ逃げる源義経とその一行と知りつつ、武士の情で関を通す富樫泰家。日本人なら誰でも知っている名場面。勧進帳を除く部分
新国立劇場で一度見ているプロダクション。以前見たときは1階中央の席で主役ダンサーがよく見えた分、群舞に目がいかなかった。白鳥はやはり群舞を見なければ、ということで今回は2階席で舞台を見下ろしながら鑑賞。「白鳥」といえば第2幕の白鳥たちと第3幕の
第1章「物語とヌード」ギリシャ神話や歴史に題材を取る、近代の典型的なヌード作品。会場に入って最初に展示されているのはフレデリック・レイトンの「プシュケの水浴」。肌の色や質感がとても美しい。第2章「親密なまなざし」歴史上あるいは神話の登場人物と
昨年に引き続き、歌を習っている友人の発表会にちゃっかり参加してピアノを1曲弾く。歌の先生の弟子でもなければ、伴奏をするピアニストの先生の弟子でもない部外者の私が舞台に立つことを快く思わない方もいるだろう。だが、目標を持って練習すること、人前
開場20周年にふさわしい、とてつもなく豪華なプロダクション。2013年の開場15周年記念で一度見ているので、スケールの大きさは分かっていたけれど、今回もその迫力に圧倒された。舞台セットは大きいうえに精巧で、古代エジプトの宮殿を間近に見ているような気
「衝撃的でかつ明快な凝縮されたデッサン。説明文なしで難解さを衒うのではないデッサン。静的なギャグ、グラフィックな道化、それがふさわしい。」サヴィニャックがポスター作成する際に心掛けていた考え方だ。なるほど、その考え方が具体化した作品ばかり。
本と文字をあしらった大道具に、カラフルな衣装を着た登場人物たち。絵本の中に迷い込んだような気持ちになる。スタッフが大活躍するのがこのプロダクションの面白いところ。大道具スタッフが衣装を着て舞台に登場し、上演中にセットを動かしている。舞台正面
セリフが多いのは気楽だけれど、謡の箇所はちょこちょこ技巧的なので気が抜けない。特に終盤の大念仏、「南無阿弥陀仏」の連呼が強烈。見たことのある符号でも組み合わせのパターンが異なっていたり、想像のつかない音程だったり。多分、当時の大念仏というイ
プラド美術館所蔵作品で構成される展覧会は何度も鑑賞しているが、感動する企画展に出会えたことがない。なぜだろう。トーンが統一されている作品が多いからか、実はスペイン・バロックにあまり興味がないのか、それとももしかして「何となく雑だな・・・」と
2013年に一度鑑賞してはいるが、断片的な記憶しかない。先月バレエの「ホフマン物語」を見ていて音楽に聞き覚えがあったのは幸いだが、オペラはバレエと比べて登場人物が多く、人間関係を理解するのが少し大変だった。ホフマン役のコルチャックは、たまに「も
印象派の展覧会は別にもうどうでもいいと思いつつ、「約半数が日本初公開」「最後の来日」と言われてしまうと、見逃すのも残念だと感じてしまう。混雑する前に足を運んでおこうと、会期が始まってすぐの土曜の夜に美術館へ。入り口がひっそりしていて、時間を