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日記一覧

・北条義時は亡き梶原景時から預かっていた銭を善児に渡す。善児は2代目を義時に紹介する。2代目は女性でかなりの剣の腕前であった。・三浦義澄、安達盛長が病でこの世を去る。・源頼家は比企能員にこれからは好きなようにさせてもらうと宣言する。・北条時政

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伊賀上野城に入城した羽柴秀吉は、織田信忠と対面し、織田信長が武田信玄に討ち取られた無念の意を示すとともに、道中、信長の霊が秀吉の前に現れ、信長の霊は将軍 足利義昭にのりうつり生きていたが、明智光秀の仕業により、信長の霊が義昭より追い出され、

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・13人にて訴訟の評定を行うが意見がまとまらず、梶原景時の意見で訴訟のやり直しに。・源頼家は北条頼時、北条時連らをはじめとする若い6人衆を補佐役として頼りにする。・源頼朝が亡くなって約6か月後に政子の娘 三萬が亡くなる。源頼家はその後、狩りから

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朝倉義景は3月13日夕刻 一乗谷に戻った。義景は温泉に入り、長旅の疲れを癒していた。そんな中、京より義景のもとに一通の書状が届いたのであった。そして、義景は温泉から上がったあと、その書状に目を通したのであった。義景は、その書状を読むやいなや、

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・1199年、後鳥羽上皇は源頼朝の死を聞く。跡継ぎの源頼家の荷が重すぎるのではないのか心配する。・政子は頼家に偽物の義朝のドクロを与える。義時は偽物ではあるが、このドクロが源氏の頂点のきっかけになったことを頼家に話す。・源頼家は御家人を集め、頼

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足利幕府内では足利義昭の次なる将軍に義昭の嫡男、生後7か月になる義尋を第16代将軍にすべく、三淵藤英が使者して御所に参内したのであった。御所では、関白 二条晴好は三淵藤英と対面し、藤英は将軍足利義昭の他界並びに次期将軍に生後7か月の足利義尋を

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足利義昭が倒れた光景をみて、家臣たちが騒ぎだしていた。陰陽師の土御門有脩は織田信長の火の攻撃を受け、気を失った状態であった。「公方様、なんという哀れな御姿に! すでに息はお引き取りになられている。何が起こったのだ!」と三淵藤英は大きな声で怒

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・源頼朝は意識が戻らず政子、義時らに見守られがなら眠っていた。・北条義時は比企能員に源頼朝が落馬した事実を話す。能員は密かに頼朝の死が近いと喜ぶ。・一方、りくは比企に鎌倉を思うようにさせないため、阿部全盛を次期鎌倉殿にすることを北条時政に説

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土御門有脩は義昭に対して信長の霊を追い払う祈祷を始めたのであった。義昭は大広間の上座に座り、静かに有脩の祈祷を受けた。するとしばらくして有脩から背後霊が表れた。その背後霊はなんと大蛇であった。その大蛇は義昭にとびかかり、義昭の体に巻き付いた

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