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日記一覧

・今回は登場しないのかなあとおもったら、徳川家康登場、過去、日本に来た外国人を紹介。そして、米国のベリーについて語る。・渋沢栄一は父 市郎右衛門と一緒に江戸へ。江戸へ藍を売りに行くが、結局売れず。栄一は偶然にも平岡円四郎と出会う。のちに円四

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武田勝頼軍に敗れた徳川家康は、浜松城に引き返す途上であった。家康は今回の戦の敗戦は認めず、勝頼軍の方が勝手に敗走したのだと、家臣たちに弁明したが、内心では、亡き嫡男 松平信康の仇を討つために武田軍と戦をしたのは、家康の若気の至りであると反省

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今川義元の亡霊は、白い炎の玉を伴いゆるりゆるりと武田信玄の近くまで近づき、刺し違えようとしたかと思うと、信玄のそばで動きを止め、信玄に向い「世は、京の都の上洛を夢見ていた。お主が織田信長と密約を結んでいたという事実は世がこの世を去った後、知

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・今回も徳川家康登場。江戸幕府は鎖国しており、オランダと清とは長崎で取引していたが、200年もたつとイギリス、フランス、ロシアごぞって、東アジアを目指しており、そのピンチを救うのが渋沢栄一だと紹介する。・ある日、岡部藩の代官 利根吉春が渋沢家

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元亀3年(1572年)2月18日、約3千の兵を率いて野田城を出陣した武田信玄は、武田信廉の姿を装いながら岡崎城を経て、桶狭間に差し掛かった。そこには、数日前に起こった第2次桶狭間の合戦で、忍者くの一らによる居眠り玉により、居眠りに陥り、武田軍に武器

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武田軍の一騎の騎馬隊は、武田勝頼に武田信玄よりの伝令を伝えるために差し向けられたものであった。その騎馬隊に乗っていたのは、女忍者 くの一であった。くの一は急ぎ信玄からの書状を勝頼に手渡した。信玄からの書状には、「徳川家康を討ちとるべからず、

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・今週から大河ドラマ 渋沢栄一の生涯を描いた青天を衝けがスタート。・最初に北大路欣也演じる徳川家康が登場、渋沢栄一の生きる時代背景を説明。・青年期の渋沢栄一が徳川慶喜の部隊を待ち伏せし、栄一は慶喜に自分の存在を主張する。そして、栄一はその後

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話をもとに戻し、浜松城での石川数正と築山御前が一夜をともにしていたとき、築山は、織田信長と徳姫のやり取りした一通の書状を数正に見せた途端、数正は顔色を変えたのであった。その書状には、亡き松平信康の謀反の疑いに加え、数正と築山が禁断の関係にあ

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時は少しさかのぼり、武田軍は武田信玄率いる本隊と秋山信友率いる別動隊の二手に分け、上洛作戦を転じていたのだった。武田軍本隊が元亀3年(1572年)10月 甲府 躑躅ヶ崎の館を約3万の兵を率いて、上洛に向けて出陣したそのころ、伊那の高遠城主であった信

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・安土城にて明智光秀は織田信長より、徳川家康接待の饗応役を解かれる。その後、信長は光秀に対し、家康の様子をみるために光秀にひどい仕打ちをしたとフォローする。そして、信長は毛利と手を組んでいる長宗我部を信孝に打たせることを光秀に話す。さらには

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築山御前は、石川数正に目通りを許されると、昔話をし始めたのであった。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで、今川義元が討ち取られたとき、徳川家康は、今川軍を裏切り、そのまま岡崎城に入城した。一方、築山と亡き松平信康は、今川家の駿河館に残され今川

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徳川家康は、嫡男 信康の仇を討つため、家臣の反対を押し切って、3千の兵を従え、2月14日に浜松城から出陣した。浜松城には、家臣 石川数正が残り、家康の留守を守った。また、岡崎城から逃れた築山御前、女子衆を従え信康の正室 徳姫と蒲郡の金剛寺に向

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