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日記一覧

・徳川慶喜は将軍 徳川家茂の病の見舞いに訪れる。家茂の病重く、朝廷と約束した攘夷を果たせなかったことを悔やむ。そして、その3日後、家茂は他界する。・一橋家家臣の猪飼勝三郎は渋沢栄一に将軍 徳川家茂が他界し、次の将軍は徳川慶喜がなるかもしれな

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香水と道三製の油の混ざった放水状の液体は馬に乗る羽柴秀吉のところまで達し、秀吉の乗っている馬は香水の匂いに酔い、走るのをやめ立ち止まってしまった。秀吉は「この匂いはなんだ。なんか、いい匂いがするぞ。おなごの匂いではないか。近くにおなごがいる

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・渋沢篤太夫は備中にて一橋家の懐を大きくするために商売に励む。備中では火薬の製造に力を入れる。一方、幕府では勘定奉行の小栗忠順は2年後のパリ万博に参加し、日本に利をもたらすことを検討していた。・徳川家康登場、今回は幕府の勘定奉行 小栗忠順な

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武田信廉は、秀吉軍の後方からの不意打ちを受け、苦戦を強いられていた。秀吉軍は信廉軍を東の揖斐川方面にじりじりと追いやっていった。羽柴秀吉は、「信廉軍はたいしたことはないのう。前回は、桶狭間で居眠り作戦で大敗し、屈辱を受けたが、こたびは武田を

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・武田耕雲斎率いる水戸天狗党約1000人の兵が京を目指して上洛する。一方、徳川慶喜は水戸天狗党の討伐を渋沢篤太夫らに命じる。・元治元年(1864年)12月、徳川慶喜は松平昭徳ともに渋沢篤太夫を伴い、水戸天狗党の討伐に向かう。・一方、渋沢誠一郎は水戸天

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武田勝頼と羽柴秀長はともに馬に乗り向かい合っていた。しばらく両者は立ち止まり、にらみ合っていた。勝頼は秀長に対し叫んだ。「わしは、武田信玄が嫡男武田四郎勝頼と申す。そちの名は?」「わしは、羽柴秀吉が弟 羽柴秀長と申す。こたびの戦、兄 秀吉が

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・やすは川路聖謨より夫 平岡円四郎が京で暗殺されたことを知り、取り乱す。・先週欠席した、徳川家康が2週間ぶりに登場。今回は今後、渋沢篤太夫にかかわ長州藩の井上馨、伊藤博文を紹介する。・京の徳川慶喜は長州藩が京へ孝明天皇を奪うため攻め上ってく

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武田信玄は待女に差し出された桃を手に取り、まさに口に入れようとしていた。そしてお市はその様子を見守っていた。その時、使者が信玄のもとに来たのであった。使者に言うには織田信長の軍勢が動きだし、別働隊の秀吉軍が海津に陣をひく武田信繁軍に攻め寄せ

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お市は織田の間者より竹が4本ある門松を受け取った。お市はその門松の贈り物の意味することをすぐに理解し、険しい表情となった。たとえ、兄 織田信長の命とは言え、このことがお市の仕業だと発覚したら、浅井長政と離縁し、浅井家を去らなければならないこ

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