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日記一覧

・大蔵省の大隈重信は政府が貸し付けている小野組の貸付金に対して担保を差し出すよう命じる。そして、渋沢栄一は大隈重信に直談判するが、これは一人で決めたことだと聞く耳をもたなかった。結局、栄一は小野組の頭取 小野善右衛門から政府より先に担保を差

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足利義昭と家臣 細川忠興は本能寺に到着し、商人 茶屋三郎左衛門は建屋に案内した。しかし、そこには本能寺の住職 日承上人の姿はなかった。そして、本能寺の建屋の戸は閉ざれ、密閉状態になった。三郎左衛門は「私は商人にあらず、実は私は松永久秀の家臣

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・渋沢栄一は三年半務めた大蔵省を辞職することを決意する。その旨を杉浦譲に伝える。 井上馨は大隈重信に大蔵省をやめることを宣言する。そして、続いて栄一も大蔵省に辞表を出す。・その後、財政改革に対する抗議の文書を井上馨、渋沢栄一連盟にて新聞に記

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3月6日、武田、浅井、朝倉連合軍は佐和山城を出発した。また、先発隊の土屋昌続ら率いる約8千の兵は夜を徹して軍勢を進め瀬田川の瀬田唐橋を渡り、織田信長の京入りを食い止めるため伏見へ、明智光秀率いる約5千の兵は琵琶湖を船を使い、坂本城から将軍 足利

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・渋沢栄一は大坂で出会ったくにより手紙が来る。栄一がくにの間に子供ができたとの知らせであった。そして数日後、くにが栄一の家に来る。栄一は妻の千代に浮気し、子供をつくってしまったことを謝る。千代は栄一の前ではともにその子も育てましょうと栄一の

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大和郡山城での軍議が終わったあと、羽柴秀吉に合流するよう命じた簗田政綱が大和郡山城に早馬にて急ぎ戻ってきた。そして、正綱は織田信長に秀吉は3月5日朝出陣するとき突然 高熱で倒れ、伊勢長島で危篤状態であり、急遽、秀吉の代役として弟の羽柴秀長5千

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・岩倉具視は薩摩に行き、西郷隆盛に東京の新政府に加わるよう頼む。そして西郷は、新政府に加わる。・徳川家康登場。新政府はまだまとまっておらず、まだ全国に藩が残っている状態である。徳川家康は徳川幕府を倒して作りたい世とは何か問いかける。・渋沢栄

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元亀4年(1573年)3月5日 夕刻 織田信長率いる織田軍約2万の軍勢は筒井順慶守る大和郡山城に入城した。その後、しばらくして松永久秀率いる約5千の軍勢が大和郡山城に到着した。その後、信長は大和郡山城にて、順慶、久秀を集め、軍議を開いた。「

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・徳川家康登場。明治新政府が危ういところを旧徳川家臣の渋沢栄一が助け舟をだすことを説明する。・渋沢栄一は大隈重信支持のもと、改正掛を設置し、栄一は改正掛の長となる。そして、静岡藩から前島密、杉浦譲ら助っ人呼び寄せる。そして、改正掛会議が始ま

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おねは目を覚まさぬ秀吉を見て、秀吉の病がかなり深刻であることを改めて実感した。おねは薬師に「こたびの夫の病は巫女に化けた狐は猛毒を持っており、夫の右手に噛みついたことにより、夫の体内にきつねの猛毒がまわったことが原因だと話されましたね。もと

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