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2022年07月17日07:18

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風林火山伝 第2部 第14話 足利幕府 次期将軍

足利幕府内では足利義昭の次なる将軍に義昭の嫡男、生後7か月になる義尋を第16代将軍にすべく、三淵藤英が使者して御所に参内したのであった。

御所では、関白 二条晴好は三淵藤英と対面し、藤英は将軍足利義昭の他界並びに次期将軍に生後7か月の足利義尋をする旨の届け出を晴良に手渡した。

しかし、晴好は難色を示し、藤英に言った。「過去の歴代将軍で最年少で将軍職に就任したのは足利第6代将軍足利義勝で、将軍職に就任したときは9歳であり、1歳未満で将軍職を継承するのは異例である。此度の将軍職継承の推挙、難しいと察する。」

「しかし、朝廷では先の第79代六条帝は生後7ヶ月で天子様の座についた事例があると聞き及んでございます。此度の生後7か月での将軍職就任は異例なことではございません。あわせて、すでに亡き義昭殿より次期将軍にとすでに義尋と名を授かってございます。」と藤英は反論した。

藤英の反論に対して、晴好は返す言葉もなく、正親町天皇への第16代将軍の就任の推挙をやむを得ず承諾し、同日の3月11日、晴好は足利義昭他界の旨を正親町天皇のお耳に入れた上、次期将軍に生後7か月の義尋を推挙した。

正親町天皇は過去、朝廷内でも生後7か月の幼帝 六条帝の事例があることをご承知遊ばれており、晴良の次期将軍義尋の推挙をお認めになった。あわせて正親町天皇は京の都の内乱を避けるため、検非違使に任命している武田信玄を後見人にしてはどうかと晴好に提案したのであった。

その後。晴好は正親町天皇の御意である信玄を次期将軍の後見人とする旨を藤英に伝えた。実のところ足利幕府にはふさわしい次期将軍の後見人はおらず、足利幕府を支えていくためには信玄の力は必要と考えていた。そして、次期将軍の主任の儀式は1週間後の
元亀4年(1573年)3月18日に取り行われることが決まった。

三淵藤英は翌日、3月12日、金戒光明寺の武田信玄と面会し、陰陽師の祈祷で織田信長の霊を追い払った後に将軍 足利義昭が他界、次期将軍に義昭の嫡男 義尋を就任させるとともに、正親町天皇の御意向により、義尋は幼少であるゆえ、後見人になってほしい旨を信玄に伝えた。それに対して、信玄は亡き義昭の冥福を祈るとともに次期将軍 義尋の後見人になることを快諾した。しかし、その後の信長の霊の行方が気になっていた。

また、足利幕府は全国の諸大名に第16代 将軍足利義尋就任の旨の書状を送ったであった。そして、その書状は足利義昭の隠し子がいる越前一乗谷の 朝倉義景のもとにも届いたのであった。その隠し子の母は、なんと義景の長女 しのであった。その隠し子は、義昭が織田信長とともに京に上洛する前、越前の朝倉家に身を寄せていた永禄10年(1567年)に朝倉家での宴会の後、義景の長女 しのと仲がよくなり、義昭は酔った勢いで、しのと一夜を共にし、その時にできた子であった。ひそかに義景の庇護のもと一乗谷で5歳に育っていたのであった。

                                   つづく



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