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日記一覧

・北条義時と八重との間に生まれた男の子は、源頼朝から金剛という名が与えらえれる。 そして、北条時政が伊豆より帰ってくる。時政は此度の上総広常のようにいつ謀反の疑いがかけられるかと思うと恐ろしくなり鎌倉へもどってきたようである。・源頼朝は源義

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「なんか、この仏像の顔は信長に似ておるのう。それにしてもいい香りがするな。この仏像は。これが本当に本能寺の日承上人が信長に与えたものか日承上人に事情を尋ねてみたい。日承上人をこの二条御所へ呼んでくれるか?」と義昭は言った。「公方様、この光秀

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・源義経は近江国まで進軍し、木曽義仲を討ち取ることでやる気満々である。義仲は義経がせめて来たことを知り、人質として後白河法皇を捕える。・三浦義澄らをはじめとする御家人が源頼朝に対して謀反を企んでおり、文学は万寿の500日の足固めの儀式のときに

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元亀4年(1573年)3月9日、武田信玄は織田信長との一騎打ちに打ち勝ち、信長を討ち取った旨を宣言したのであった。しかし、その場には信長の遺体はなかったのであった。信玄は雷にて骨もろとも木端微塵となり、跡形もなく消えてしまったと信じていた。そこに

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・北条義時は八重を妻とする。その後、八重は義時の子を腹に宿す。・源義高は人質として鎌倉へ。源頼朝、政子、大姫と挨拶する。頼朝は義高と大姫をいいなずけとする。政子も義高と対面して賛成する。・木曽義仲は俱利伽羅峠で平家軍を破り、都入りする

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織田信長、目掛けて落とされた雷が信長に直撃する寸前、武田信玄は今川義元の霊の意志に反し、とっさに信長に目掛けて突進した。そして信玄も信長とともに雷の直撃を受けたかに思われた。その後、雷は地面に落ち、雷が落ちた後、その威力で煙が舞い上がり、そ

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・源頼朝は北条時政が伊豆に行ってしまい、亀の浮気の件、後悔する。そんなおり、源行家が所領をほしいと源頼朝に頼みにくる。頼朝は義円を戦に誘い見殺しにしたこともあり、所領の件は断る。行家は頼朝を見限り木曽義仲に京の上洛を頼むことにする。・木曽義

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しかし、織田信長は今川義元の金縛りをかけられたが、不思議な力が体内からわき、義元の金縛りを解いたのであった。その不思議な力の秘密は熱田神宮の悪霊退散のお札にあった。信長は永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いの前に戦勝祈願として熱田神宮を参拝した

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