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日記一覧

・1964年10月10日 東京オリンピック開会式の日は前日の雨が上がり、秋晴れとなる。国立競技場にて金栗四三が亡き加納治五郎が金栗にあてた手紙を田畑政治に読みあげる。その手紙の内容は加納が金栗に幻の東京オリンピックにて最終聖火ランナーとして走ってほ

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・黒澤明氏の記録映画の後任として市川氏が名乗りを上げる。・聖火ランナーの最終ランナーの候補者として広島原爆投下の日に生まれた坂井義則氏が推薦される。田畑政治は大賛成であった。・女子バレーの鬼監督 大松博文は父親の危篤時にすぐ戻ってきた河西昌

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・田畑政治は正式に東京オリンピック事務総長を辞任する。後任は与謝野秀氏となる。田畑の辞任に伴いオリンピック記念映画担当の黒澤明は辞表を出す。・1962年10月 東京オリンピックまであと2年。女子バレーの鬼監督 大松博文は辞意を表明する。それを聞い

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・田畑政治はアジア競技大会開会式直前でいろいろ迷った末、日本の参加を決める。そして、日本はメダルの数ではトップで日本選手は大活躍であったが、日本の新聞はそのことを記事にとりあげず、アジア競技大会参加に踏み切った田畑政治の避難の記事が第1面で

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・古今亭志ん生の弟子 ごりんは東京オリンピックの宣伝部長に任命され、東京オリンピックを盛り上げるためにテレビに出演する。・東京オリンピックの聖火リレーのルートはアテネ、イスタンブール、テヘラン、ニューデリー、バンコク、マニラ、香港、沖縄、鹿

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・女子バレーの鬼監督 大松博文はスパルタ練習ながらも各選手の家族の家に行き、オリンピックのために娘を貸してほしいと頼みにまわる。・オリンピック選手村は朝霞にほぼ決まりかけであったが、田畑政治の池田首相への直談判で代々木ワシントンハイツに決ま

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・田畑政治は東京オリンピックの選手本部対策委員長に就任する。そして田畑は競技種目の検討をする。そして、日紡貝塚のバレーボール部の練習風景を視察する。監督の大松博文は女子バレー部員をスパルタ方式の練習でしごく。・東京都知事 東龍太郎はオリンピ

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・古今亭志ん生は無事、退院する。弟子のごりんは再び、播磨屋を訪れ、黒坂辛作にごりん専用のたびをつくってもらう。・1959年 東京都知事の東龍太郎、田畑政治はNHKの解説委員 平沢和重にIOCミュンヘン総会でオリンピック東京召致でスピーチしてほしいとい

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・美濃部孝蔵は満州に行けばお酒が飲めるということで、満州に行く。そして、三遊亭圓生とともに満州で落語をやる。・満州にいる美濃部孝蔵のもとに小松勝が訪ねてくる。小松勝は美濃部の富久の落語の走りはなっていないと批判する。・1945年8月に広島、長崎

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・古今亭志ん生は、東京読売巨人の優勝祝賀会で落語をする際中、ビールを飲みすぎて倒れ、病院に運ばれる。古今亭は左脳の血管が切れ、危篤状態だった。そして師匠をごりんが見舞う。・1938年(昭和13年) 加納治五郎が亡くなる。葬儀は盛大に行われる。・19

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・1937年7月 日中戦争が勃発する。河野一郎議員は東京オリンピック開催中止を国会に提案する。・金栗四三と小松勝は一緒に東京オリンピックに向けてマラソンの練習をする。・副島道正は近衛首相に東京オリンピック返上を相談する。・金栗四三は河野一郎に東

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・前回のロサンゼルスオリンピックで金メダルをのがし、おしくも銀メダルになった前畑秀子はベルリンオリンピックで金メダル獲得のため猛練習する。前畑のライバルはドイツのケネンテル選手であった。・ヒトラーはケネンテル選手に金メダルを取るよう励ます。

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・昭和36年秋、五りんは播磨屋へ行き、金栗たびを見学し、店の中で1枚の写真をみつけ、母が写っていないか確認するが写っていなかった。・1936年 金栗四三は久しぶりに東京の播磨屋へ戻る。そして金栗は亡くなったシマににた女性と会う。それはシマの娘 リ

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・1936年(昭和11年)2月26日午前5時頃に東京で軍隊がクーデータをおこす。いわゆる二二六事件勃発。・熊本から東京に家出する予定だった金栗四三は美川の喫茶店で二二六事件を知り、とりあえず家出を取りやめ、池部家に戻る。・軍隊は田畑のいる新聞社を占拠

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・加納治五郎は腰痛で倒れ、替わりにIOC委員 副島道正、田畑政治がイタリア ローマへムッソリーニ首相にオリンピック招致の直談判へ。・1935年1月14日 副島道正、田畑政治はイタリアのローマに到着し、杉村陽太郎と合流し、ムッソリーニ首相と面会するが、

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・東京市長 永田秀次郎はロサンゼルスオリンピック団と面談。永田は前畑秀子に会い、なぜ金メダルを取れなかったのかと問い正す。永田の言葉を聞いた岸清一、田畑政治は激怒する。その後、永田東京市長は部下の汚職で東京市長を辞任する。次の東京市長として

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・女子水泳にて前畑がスタート。日本人女子で堂々の銀メダル獲得。その水泳競技の様子をナオミは観戦していた。また、ラジオでの水泳の実況を金栗四三もかじりついて聞いていた。金栗は熊本で池部商店の主人になっていた。・男子背泳ぎ100メートルでは日本

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・水泳選手の大横田は腹痛を起こす。・7月30日 第10回ロサンゼルスオリンピックが開催。日本選手団は米国に次ぐ2番目に多い選手団であった。・加納治五郎は柔道のパフォーマンスを披露する。田畑政治は加納になぜ柔道をオリンピックの種目にしないかと問う。

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・日本のオリンピック選手団は船でハワイ、サンプランシスコ経由でロサンゼルス入り。オリンピック選手村は1932年ロサンゼルスオリンピックに生まれる。・ロサンゼルスオリンピック合宿の毎日は田畑政治の国旗掲揚、松澤一鶴の訓示で始まった。あと田畑政治の

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・神宮プールにて日米水泳対抗戦が開催され、日本チームが勝利する。米国チームはロサンゼルスオリンピックでは必ず勝利すると宣言する。・東京市長 永田永次郎は加納治五郎に昭和15年に東京にオリンピック招致の考えを相談する。大日本体育協会の岸清一は最

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・美濃部孝蔵とおりんとの間に男子が生まれる。しかし孝蔵は寄席で破門になり一文なしとなる。・金栗四三は38歳になる。そんなある日、東京に兄 金栗実次が訪ねてくる。実次は17年ぶりの東京であった。実次は四三に熊本に戻るようたのむ。・田畑正治は大日本

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・田畑政治は、オリンいック資金を工面するために、高橋是清に直談判。みごとに6万円の資金援獲得する。・人見絹江はアムステルダムオリンピックの女子選手代表として選ばれる。・アムステルダムオリンピックは1928年(昭和3年)7月28日に開幕。しか

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・今回からいだでん第2部 主役が金栗四三から田畑政治に交代。・田畑政治は新聞社に入社し、政治部に配属される。・第8回 パリオリンピック報告会が行われ、金栗四三は残念ながら棄権の結果に終わる。・田畑政治は新聞社で次のアムステルダムオリンピックに

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・1923年9月に起こった関東大震災の死者・行方不明者は約11万人にのぼった。加納治五郎は神宮競技場を避難所として提供する。増野は小梅にシマの居所を聞く。小梅はシマは実家に帰ったのではと増野にアドバイスする。それを聞いた金栗四三は熊本を思い出し、

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・村田富江ら女学生は金栗四三の先生辞職につよく抗議する。そして父 村田大作と村田富江が徒競走で勝負し、富江が勝ったら、金栗先生を退職させないことをシマは大作に提案する。結果、娘 富江が父 大作に大勝利し、金栗四三は先生をやめずに済む。・加納

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・美濃部孝蔵は小梅のおとりなしによりおりんとお見合いし、結婚する。おりんは美濃部の落語を見て気に入ったみたいである。・東京府立第二高等女学校の女子学生は運動に専念する。特に村田富江らはテニスに力を入れる。金栗四三は女子学生に慕われ、オリンピ

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・金栗四三はドイツにて女性が槍投げをしている姿を見て、日本でも女子体育を発展させるべきだと考える。・金栗四三は日本に帰国し、まずシマと会い、ドイツの女性の槍投げの写真を見せ、日本女子も体育に励むべきだという考えを示す。・金栗四三と池部スヤが

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・第7回アントワープオリンピックのIOC委員会からマラソンを競技に復帰する手紙が加納治五郎に届く。今回は大日本協会よりオリンピック出場選手15名、監督1名の渡航費を全額負担することに。・浜名湖では田畑政治が水泳を指導する。水泳は内田正錬が出場する

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・金栗四三は米国横断駅伝を考え、その予選大会の位置づけで箱根駅伝開催を決める。加納治五郎は箱根駅伝を大いにサポートする。同時に1920年に8年ぶりにベルギーにてオリンピックが開催されることを伝え、オリンピックの予選会にしてはどうか提案する。・現

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・美濃部孝蔵は東京に戻るが芸者 小梅に夢中になっている徳重に美濃部はにらまれていた。小梅は徳重に美濃部に夢中になっていることを話したからである。美濃部は東京でよせをやる予定だったが、徳重の目もあり東京でのよせはしばらく断念せざるえなかった。

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