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2008年10月29日23:21

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プッチーニ歌劇『外套』

プッチーニのトリッティコ(3部作)については『ジャンニ・スキッキ』の感想で触れた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=969471442&owner_id=3341406

浜松市下の図書館には、このトリッティコのAV蔵書が、その時借りたCDの『ジャンニ・・』しかないと書いたが、よくよく調べたら、VHSビデオ版で、その第1作『外套』と、レオンカヴァッロの『道化師』を組にしたものがあった。これは後DVDでも発売されている。

スタッフ/キャストは以下の通り。

原作 ディディエ・ゴールド
台本 ジュゼッペ・アダーミ
作曲 ジャコモ・プッチーニ

演出 ファブリツィオ・メラーノ
指揮 ジェームズ・レヴァイン
演奏 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
出演 
ミカエル ホアン・ポンス(b)
ジョルジェッタ テレサ・ストラータス(s)
ルイージ プラシド・ドミンゴ(t)


1994年の同劇場ライブ収録である。

プッチーニ3部作の組み合わせでなく、『外套』と『道化師』のカップリングも、生公演で、CDやDVDのソフトで、まま見られる。
時間的な収まりと、ヴェリズモ・オペラという性格的な類似から、企画し易いのだろう。『外套』は1幕55分、『道化師』は1幕1時間10分程度。

プッチーニは、当時パリで流行ったグラン・ギニョール(荒唐無稽な大衆芝居)における、残酷で怖ろしい/哀れで悲惨/滑稽、それぞれを性格とした単幕物3本仕立ての1夜連続公演に興味を持ち、これとダンテの神曲(地獄篇/煉獄篇/天国篇)のイメージとを掛け合わせ、トリッティコの構想を生み出したのだが、この『外套』はその第1作に当たる。(『ジャンニ・・』は第3作)。
本人が意識したかどうかは判然としないが、当時、興隆したヴェリズモが、この『外套』の作風となっている。『トスカ』にもヴェリズモ的な風はあるが、プッチーニの作品の中で、この『外套』が一番その色彩が強いと言われいる。

幕が上がると、セーヌ河を上へ下へ、小さな船で預かり荷物を運ぶ事で日々生計を立て、その船を住いにもしている下層市民達がいる。
歌劇の場は、そんなセーヌの河畔、貧しい船と生活に疲れた人々の河岸、その1場のみである。
荷を担ぎ船から下ろす人達。夕焼けが一瞬の煌めきをもたらすが、すぐに河岸は薄闇に沈んでいく。

オペラは、この闇一色の支配の中、歳の違う夫婦の心の離反、若い妻の故郷を共にする男との浮気、男が夫に絞殺されるに到る時間の推移を、まるで長い1つの息のように描き切る。
最後の殺人と若い妻の絶望の叫びの1点に向かい、最下級民の生活の悲惨と伴に、じわじわと真綿で首を絞めるように劇は一方向にのみ進展する。

タイトルの外套は、「ある時は喜びを、ある時は苦しみを隠す」だけでなく、最後では、若い男の死体を隠す。
その台詞は昔夫が自分に歌ってくれた言葉、知らぬ妻は、それを繰り返しながら、日頃のつれなさを詫び、夫に擦り寄る。
夫は言う「そして今は、罪も」隠す、と。
夫は外套をめくり、倒れた男の死体に妻の顔を押しやる。ジョルジェッタの絶叫、何の解決も救いもないまま、ミカエルの独白の裏のモチーフが最強奏に膨れ上がり、フォルテシモで劇は幕が下りる。

『ジャンニ・・』のような、いろんな種類の緊張と弛緩の繰り返しでなく、緊張の糸は最後迄ピンと張り詰め、糸の色はただ1色。
音楽も全くその通りである。諧謔も、甘くとろけるようなアリアもない。

若妻ジョルジェッタを演ずるのが、テレサ・ストラータス。台本上は、夫ミカエル50歳、妻25歳(ついでに言えば、浮気相手の若い男ルイージは20歳)。
しかし、この時、ストラータスは実年齢56歳である。
メトのような大舞台を遠くから眺める分にはいいだろうが、カメラで追うには、少し辛い。いかにも生活に疲れたすれっからしの中年女の風情。くすんだ闇色の中で、彼女1人が派手な純色の衣服と真っ赤な髪だが、よけいにギャップが目立ってしまう。
声も張りがなく、力を抜くと、人々の声に紛れてしまいかねない。いくらオペラでも、ちょっと無理がある気はする。
 
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