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2008年10月27日18:33

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ジョルダーノ歌劇『アンドレア・シェニエ』

図書館から借りたCDで歌劇『アンドレア・シェニエ』を聴く。CDなので、勿論演劇の側面は確認できていないという訳です。
片眼をつむって感想を書きます。

作曲 ウンベルト・ジョルダーノ(1867-1948/伊)
台本 ルイージ・イッリカ
1896年ミラノ・スカラ座初演
4幕伊語

指揮 ジュゼッペ・パタネ
演奏 ハンガリー国立管弦楽団
出演
アンドレア・シェニエ ホセ・カレーラス(t)
マッダレーナ・ディ・コワニー エヴァ・マルトン(s)
カルロ・ジェラール ジョルジョ・ザンカナロ(br)
コワニー伯爵夫人 タマーラ・タカーチ(s)
ルーシェ フランコ・フェデリーチ(b)

1986年録音

アンドレア・シェニエ(1762-94/仏)は実在の人物で、フランス革命時代を生きた文筆家,詩人、王制に反対し革命に共鳴したが、ロベスピエール等ジャコバン党の恐怖政治には批判的態度を取り、1794年3/7逮捕され、同7/25、ギロチン台で死んだ。しかし時代の転変は激しく、そのロベスピエールも、テルミドールの反動により、シェニエの僅か3日後には処刑されている。
18世紀に入り、ヴィクトル・ユゴー等に再評価されて、彼の人物と作品は知られる事となった。
これら史実はオペラでも踏まえられているが、マッダレーナとの悲恋物語、その延長上での死は、台本作者の創造によるものだ。

ウンベルト・ジョルダーノは他にもオペラを作っているが、現代において上演されるのは、この作品1本のみである。
ジョルダーノの生きた時代は『道化師』のレオンオヴァッロや『カヴァレリア・ルスティカーナ』の作者マスカーニと重なっており、彼も、ヴェリズモの作曲家と分類される事が多いようだ。
しかし、ヴェリズモそのものが、ヴェルディという体制に対抗する新しいオペラという意味では姿勢は明らかだが、オペラの内容や音楽としては旗幟鮮明という訳にいかないところがある。いわく、短く激しいドラマの中に、赤裸々な感情表現や強烈な刺激に満ちた原色的効果を盛り込む事で、ヴェルディの壮大な人間ドラマとは異なった劇場的興奮を生み出す、というものだが、『アンドレア・シェニエ』を聴いて湧き上がるものは、どうも違う感興なのだ。

例えば、シェニエとマッダレーナは、ロベスピエールの恐怖政治下にあって、ギロチンの露と消えていくが、その死は不条理であるとしても、2人の愛の永遠の成就の為のもので、ある意味で、不幸でも悲惨でもない。どちらかと言えば、甘美な死という感覚の方が強い。
不幸や悲惨、苦悩を殊更扇情的に扱うという風はない。
愛の姿は、夢のように理想的で甘い憧れに満ち、現実的でもすれっからしでも、どろどろしてもいない。
また、第1幕のみは革命前の貴族社会を描いているが、革命の不穏な風は漂っているにしても、その音楽からは、旧文化への慈しみが滲み出てくる。
コワニー伯爵邸での舞踏、ガヴォットの優美さ、懐古趣味といったらうっとりしてしまう程だ。
また、音楽も、甘く優しいメロディと和声、単純な伴奏等、あちこちに現れて、一昔前のベルカント・オペラ風を感じさせさえする部分も多い。

フランス革命の悲惨は目の前のドラマとしてちらついても、上で書いたような、作者の本質部分が、巧まずして流露している、そしてそここそがこのオペラの美の本質、聴衆に感動を呼ぶところであって、それによってこのオペラは世に残っていると思うのだ。

ホセ・カレーラスは、正直言って、これ迄彼の演技に感心した事がなかった。
声はよく伸びるが、立ち尽くした棒の如き演技、そんな印象が強かった。
このソフトはCDであるからして、演技を観て言うのではないが、歌唱だけでも、素晴らしい感動が伝わってくる。
4幕のアリア”come un bel di dimaggio(5月のある美しい日のように)”や、マルトンとのデュオ”vicino a te s’acqueta(僕の悩める魂も)”の崇高な愛の姿に、感動を覚えない者はいないのではないか。そして、amore(愛)とmorte(死)とinfinito(永遠)の3つの言葉は、繰り返されながら超高域で終に1つに重なって、シェニエとマッダレーナは、自ら、ギロチンの前へ進み出るのである。
ここで笑ってはいけないが、感動している部分は、全くヴェリズモの資質を表している部分ではない。

いつかチャンスがあったら、ビデオで、できたら生で観てみたいものだ。
 
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