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2008年10月13日23:56

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中野京子『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』

中野京子著の『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』を読む。
光文社新書2008年8月発行。

中野京子の著書は、『怖い絵』『怖い絵2』に続いて3冊目。

私が好む、映画,音楽,オペラ,絵画,書籍等々でよくぶつかるのが、ハプスブルク家の存在だ。
神聖ローマ帝国の盟主ハプスブルク家は、その大きさを様々に変えながら、第1次世界大戦迄650年間を生き伸びた。
激動のヨーロッパ近世・近代史の中で凄い事ではある。
カール5世(兼スペイン王カルロス1世)の時の領土は、東欧迄を含むヨーロッパの2/3,北アフリカ、中南米,東南アジアに迄及び、1日24時間、彼の地球上の領土は何処かが必ず陽が当たっている、という誇大妄想的意味で「日の沈まぬ帝国」と称された。
肩書きも、神聖ローマ帝国皇帝,兼・・,兼・・と続いて70をも持つに到った。

歴代の皇帝は如何に戦争に明け暮れていたか、と思いがちだが、誰の吐いたものかは判らぬが、こんな名セリフがある。
「戦争は他の者にまかせておくがいい、幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし」
カール5世は40年の治世の中で、ドイツで9回、イタリアで7回,フランスで4回,イギリスで2回,アフリカでも2回の会戦を持ったから、名セリフを勘違いし過ぎてもいけないが、カールに留まらず、ハプスブルク家は、政略結婚を効果的に運んで、帝国を拡大維持し続けたのである。

時代は、宗教改革により新旧の信仰が相争った時代でもあり、背後にはバチカンがおり、カトリック世界統合の覇者という立場も、皇帝達は自らに担わせた。
また、王権神授説という考え方から、皇帝の権力は神によって授けられたものであり、他家や下々に滲み出してはいけないとの考えで、同族内での近親結婚も繰り返された。
ただこの近親結婚の繰り返しは、諸刃の剣として、ハプスブルク家の中に不幸な影を数多く落とした。見てくれの「ハプスブルクの顎と下唇」の逸話に留まる問題ではないのである。

中野京子は、『怖い絵』のシリーズを編むに従って、やはりハプスブルク家について書かねば、西欧美術史として不十分である、との認識に到ったのだろう。
それが、この新書の動機であり、手法は同様に、古今の名画の中から、ハプスブルク家の人々に関連するものをピックアップして、画家の意図したところと、描かれた人物達の両面に迫っている。
カラーで絵を観てもらう事を意として、紙質もいいものを使っている。

チャプターと絵画名/作者は以下の通り。

1.『マクシミリアン1世』アルブレヒト・デューラー→写真1
2.『狂女ファナ』フランシスコ・プラディーリャ→写真2
3.『カール5世騎馬像』ティツィアーノ・ヴィチェリオ→写真3
4.『軍服姿のフェリペ皇太子』  同
5.『オルガス泊の埋葬』エル・グレコ
6.『ラス・メニーナス』ディエゴ・ベラスケス
7.『ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ2世』ジュゼッペ・アルチンボルド
8.『フリードリヒ大王のフルート・コンサート』アドルフ・メンツェル
9.『マリー・アントワネットと子どもたち』エリザベート・ヴィジェ=ルブラン
10.『ローマ王(ライヒシュタット公)』トーマス・ローレンス
11.『エリザベート皇后』フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター
12.『マクシミリアンの処刑』エドゥアール・マネ

1.ドイツ選帝侯の投票拒否により、バチカンから皇帝として定められたのが、当時スイスの弱小王、ルドルフ1世。
そして初代皇帝となったのが息子のマクシミリアン1世で、彼は子供達をスペイン王家と婚姻関係に導き、ハブスブルク家をヨーロッパの列強に引き上げた。この絵は、マクシミリアンの逝去前後で仕上げたとみられる。

2.美しくも、人の心を一度に凍らせてやまない力のある絵だ。
中央の黒い棺の中に眠るのは、マクシミリアン1世の息子フェリペである。その脇に、既に正常な精神の光伴わぬ眼の女。フェリペの妻、今は未亡人のフアナである。彼女は夫の死が信じられず、復活を信じて、スペインの荒野を長く彷徨った。回りにいる疲れた表情の男女は侍従侍女達。
この後、彼女は幽閉されるが、カスティーリャ女王の名は最期迄捨てず、75年の長寿を牢の中で送る。

3.カール5世といえばこの絵を思い起こす。力強く、凛々しい姿が、夕焼けの森と空を背景に、今まさに愛馬と伴に歩き出そうとする場面。
カールもティツィアーノの仕事を愛し、息子フェリペ2世も彼をお抱え絵師とした。
神聖ローマ帝国を最大に迄拡大した彼だが、既に精神肉体は疲弊していた。全く異例の事だが、存命中に王権を譲渡すると発表し、スペイン世界を息子フェリペ2世に、オーストリア世界を実弟のフェルディナント1世に。まるでシェークスピアの『リヤ王』の物語の不幸の始まりのようだ。
こうして、ハプスブルク家はスペイン系とオーストリア系に2分される。

その後、オーストリア系は、徐々にその勢力を弱めながらも、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、と名を変えながら、第1次大戦迄生きながらえるのだが、スペイン系は、血の濃さに行き詰まり、ウィーン美術史美術館「静物画の秘密」展や、オペラ『ドン・カルロ』の感想の日記でも触れたように、カルロス2世の死によって、1700年ハプスブルク家は終焉するのである。
オーストリア系の最後は実質フランツ・ヨーゼフだが、その弟マクシミリアンは、ナポレオン3世から、メキシコ皇帝として担ぎ出され、そこで銃殺されている。
終章12のマネの絵は、その処刑場面である。

<参>ウィーン美術史美術館「静物画の秘密」展 
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=930011260&owner_id=3341406
<参>オペラ『ドン・カルロ』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=948926437&owner_id=3341406
 
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