mixiユーザー(id:3341406)

2008年10月12日23:18

32 view

木下美穂子ソプラノ・リサイタル

10/8(水)朝の「クラシック倶楽部」(NHK-BS2)で、木下美穂子のソプラノ・リサイタルが放映された。10/7-8は上京していたので、出発前に留守録の指示をしておいたもの。
昨年、同局の「クラシック・ロイヤルシート」で彼女がタイトル・ロールを歌う歌劇『蝶々夫人』を観てから、今一番期待しているソプラノである。
その二期会の『蝶々夫人』については、下のサイトからご参照下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=698401955&owner_id=3341406

今回放映のリサイタルは、2006年11月25日、神奈川フィリアホールのライブを収録したもの。

プログラムは以下の通り。
ピアノ伴奏は御邊典一。

1.歌劇『リナルド』から
   涙の流れるままに/ヘンデル(1685-1759)作曲
2.歌劇『ピロとデメトリオ』から
   かおり高いすみれよ/アレッサンドロ(*)・スカルラッティ(1660-1725)
3.『愛の手紙』/ドニゼッティ(1797-1848)
4.『海の我が家』/同上
5.歌劇『ルサルカ』から
   月に寄せる歌/ドボルザーク(1841-1904)
6.歌劇『イル・トロヴァトーレ』から
   静かな夜/ヴェルディ(1813-1901)
7.『郷愁』/ピエトラ・チマーラ(1887-1967)
8.『ストルネッロ』/同上
9.歌劇『オテロ』から
   柳の歌「泣きぬれて野のはてにただひとり」/ヴェルディ
10.同歌劇から
   アヴェ・マリア
11.歌劇『マノン・レスコー』から
   ひとり寂しく/プッチーニ(1858-1924)
(*)アレッサンドロ・スカルラッティは、500曲以上もチェンバロソナタを創ったドメニコの父親。

オペラと、ピアノ伴奏つき独唱歌曲の構成。
オペラは独伊バロックの2曲で始まり、ロマン後半期のチェコ,伊,伊。
挟んだ歌曲は、何れも伊。

1,2共、抑制を利かせた節度ある歌い方。こういうものも、レパートリーにしているのかと驚く。
木下美穂子というと、あの『蝶々夫人』のイメージがあまりにも強いので、ああいう、追い込まれて人格を破綻させていく、または全ての感情を狂おしい迄に発露させる、そんな表現タイプの歌手としか見ていなかったのだが、以外に懐が深い。
まあ、まだまだ若手だから、レパートリーも次第に増えていく事だろう。
が、現在ローマに在住して研鑽を重ねているという事は、イタリア・オペラを深めたい、それが彼女の内なる最大の炎である事は間違いない筈だ。

彼女の経歴を見ると、伊作曲家のものでは、これ迄に『椿姫』のヴィオレッタ,『仮面舞踏会』のアメーリア,『ラ・ボエーム』のミミ,『イル・トロヴァトーレ』のレオノーラ,『蝶々夫人』のタイトルロール,『外套』のジョルジェッタ等々、イタリアのロマンオペラの保守本道を走ってきている。(前2者がヴェルディ、後4者がプッチーニ。)
古いところではモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・アンナまたはドンナ・エルヴィラ辺りもレパートリーにある由。これは勿論伊オペラではないが、言語は伊語。

今月末には、東京紀尾井ホールで『オテロ』のデスデモーナを演奏会形式でやるようだ。オテロ役はアンジェロ・シモスで、池田直樹が新たに書き下ろしたナレーション台本で進行する由。ピアノは河原忠之、先日感想を書いた「林美智子ソプラノ・リサイタル」も彼の伴奏だった。
行けなくて残念だが、新味も取り込んで、さぞかし気力の充実したコンサートになる事だろう。
今日の話題に戻るが、5と6-7は、月夜に寄せた、夢見がちな若い女性の恋のアリア。

対して、9-10と11は、死を目の前にした大人の女性の歌。
この一連のアリアの後、デズデモーナは夫オテロの手にかかって死ぬのだが、その予兆は既にあって心は不安に満ち、しかし、従容として、それをも認めようとする祈りのアリアになっている。
マノンはフランスから新世界アメリカへ夫デ・グリューと逃げてきた。ニューオリンズの砂漠で、疲労と喉の渇きに倒れんばかり。デ・グリューは水を探しに行くと言って離れていく。残されたマノンは「ひとり寂しく捨てられて」と孤独を恨み、しかし、「死にたくない」と繰り返す。デ・グリューが戻った時は既に遅く・・・。

もう一度プログラムを全体に亘って見てみると、抑制と古雅から、解放された感情へ、幼さの残る女から大人の女性へ、そして更には滅亡の人外境へ。
なかなか旨いプログラム構成であるのが判る。

最後のアリアを歌い切った木下の目からは涙が零れる。なかなか笑顔を作れない。
『蝶々夫人』のラストを想い出してしまう。あれも夫人の死で終わる。カーテンコールでは、木下は畳に座ったまま、観客に何度も頭を下げた。
この位感情移入してしまうと、オペラはいいが、コンサートや今日のリサイタル形式で色んな作曲家の歌を歌う時は、切り換えるのが大変だろうと思う。
関連してもう1つ想い出すのは、先日の林美智子のリサイタル。
彼女は全くその反対で、歌い終われば、もう乾いた満面の笑みに早変わり、どんな色彩の曲の後でも。
あの表情の変化は、本人はプロの演技者としてのフェィス・サービスだと思っているかもしれないけれども、正直言うと、私は少々興醒めしてしまう。
歌が終わった後も、しばらく舞台演者の演技の余韻は続いていて、観客は前のシーンを噛み締めながら拍手を送っているのであるから、演者の方が先に現実に戻ってしまってはいけない、観客も急ブレーキをかけて夢の時間から追い出されてしまう。

発展し過ぎかもしれないが、そんな意味では、木下はレナータ・スコットを継ぐ人になって欲しいと思う。人外境迄を表現できる歌手になって欲しいと思うのである。
スコットについては以下を。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=611538008&owner_id=3341406
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=573474414&owner_id=3341406
 
0 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2008年10月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031