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2008年10月09日01:03

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プッチーニ歌劇『トゥーランドット』

10/7-8(火-水)と上京した。今回の目的は、新国立劇場の歌劇『トゥーランドット』。
折角の上京なので、友人に声を掛けたら、5人集まってくれた。高校時代のクラブの後輩達で、今は東京及び周辺で住まう人達。1歳から3歳年下の男性3人、女性2人。
新宿でタイ料理を楽しみ、当日は上野泊。
そして翌日は、国立西洋美術館の「ハンマースホイ展」を観て、夕刻浜松帰着。
今回は、比較的ゆったりと落ち着いたプログラムだった。


まず『トゥーランドット』について。

今回の席は、6月の『椿姫』同様S席ではあったが、前回より2列後ろの、1階最後22列。
でも、新国立のオペラホールは大変音響がいい、音楽を愉しむ上で不足は全くない。演技を見ようと思うなら、もう少し前がいいだろうけれども。今後の狙い目としては、16列、通路のすぐ後ろ辺りがベストか。
今回の演目は、人間心理の微妙を味わうという類ではないから、良しとしたい。オペラグラスも持っていったし。

『トゥーランドット』はプッチーニ(1858-1924)最後、12作目のオペラ。中国の伝説時代のお伽噺。
皇帝の姫君トゥーランドットは言い寄る男達に謎をかけ、正解ならば結婚、不正解ならば首を刎ねるという、美しくも残忍な氷の女性。幾多の異国の王子達が、魅せられ、そして死んでいった。
今回、姫の美しさに心を奪われ、名乗りを上げたのは、タタールの元王子(カラフ)。今は1人流浪の身。
偶然、この場所に、女奴隷(リュー)に世話になりながら、やはり故国を追われ漂泊する父王(ティムール)が居合わせる。
リューは、往時のふとした会話からカラフを影で慕い、老いて盲目のティムールの世話をし続けてきた。
2人は、カラフにトゥーランドットへの挑戦を思い留まらせようとするが、王子の意志は固く、事はどんどん進展していってしまう。

挑戦の夜、カラフは見事にトゥーランドットの3つの謎を解き、民衆は興奮、皇帝も認める。しかし、トゥーランドットはうろたえ、見ず知らずで名も知らぬ異国の男に我が身を渡す事を拒否し、皇帝に撤回を求める。
王子は、高らかに愛を宣言し、姫に言う、「朝迄に私の名を言えたなら、我が命を差し出そう」と。
姫は、男の名を調べさせるべく、都の人々に「誰も寝てはならぬ」とお触れを出し、しかも、陽が昇る迄に判らなければ、人々を皆殺しにすると。
大臣は、盲目の老人と女が、彼と話していたのを知り、2人を捕え、拷問しようとする。
リューは1人前に出て、彼の名を知るのは私だけだと言い張る。役人はリューを痛めつけるが、彼女は口を割らない。
トゥーランドットはリューの強さを訝しみ、問い糺す。
リューは、「それは愛の力です」と答え、トゥーランドットのかんざしを奪い、自分の胸を突き刺して死ぬ。
ティムールの悲痛な叫び。心を打たれた人々はリューの亡骸を高くかかげて運んでいく。

実は、この葬送の合唱迄を作って、プッチーニは未完のまま、喉頭癌で死んでいる。
その後は、弟子のF・アルファーノが遺されたスケッチとトスカニーニの助けも得て完成させるのだが、様々な紆余曲折があり、それが今もその部分の評価に影を投げているのは間違いないところだ。

この問題の解釈が、今回の公演の演出として、H・ブロックハウスに斬新な答えを出させた。
そこが、今日の日記の焦点だ。

台本は勿論最後迄できている。つまり、リューの死に感動したトゥーランドットは、カラフの愛の呼びかけと口付けで、心を氷解させ、涙を流す。
彼女の涙に心を奪われたカラフは、自分の名を姫に告白する。
すると、トゥーランドットは、勝ち誇ったように、民衆の前で叫ぶ、名前が判った!「この人の名前は、”愛”」と。

プッチーニは、実は、そのあとラスト迄音楽は一応できていた。時間的にも、病魔の前を進むだけの猶予があった。
しかし、リューの死を描いた後、どうしても、できていた愛の2重唱とフィナーレを、彼は変更したくなった。台本作家にも、詩句の変更さえ申し出ている。
ブロックハウスは、言っている。
リューの人物設定は、(幾多の研究家も言っている事だが)プッチーニの大変好みにするところ。『ラ・ボエーム』のミミ、『蝶々夫人』もそうだが、社会的にも弱い女が自分を犠牲にして迄愛する男の為に死ぬ、こういうタイプが病的に彼は好きだった。ある見方をしたら、男にとって都合のいい女性像と言えるかもしれないが、プッチーニに酷だろうか。
しかも、これを絵に描いたような事件がプッチーニの身に実際に起こっている。
「ドーリア事件」と呼ばれた。
1903年、自動車事故で大怪我をしたプッチーニは、偶々当時16歳の娘ドーリア・マンフレーディに身の回りの世話をしてもらった。
献身的に働いたドーリアは、回復後もプッチーニに小間使いとして雇われる。5年後、美しく成長したドーリアと夫の関係に不審を抱いた妻エルヴィーラは、嫉妬からドーリアを誹謗中傷し、解雇してしまう。ドーリアは服毒自殺を図り、5日後死ぬ。マンフレーディ家はエルヴィーラを訴える事となる。いくら原告側の勝訴とは言っても不幸な展開だが、ドーリアが処女であった事が証明され、裁判は終わる。プッチーニは奔走し、示談金をは支払う事で表向き決着をみた。
しかし、この事件はプッチーニに重くのしかかり、10年後『トゥーランドット』を作る中で、彼はリューにドーリアのイメージを被せていった。もともとの原作にはない役柄で、プッチーニの発案人物である。反対にトゥーランドットの人物造形には、妻エルヴィーラを反映させた。

そういう心的背景の下、リューをオペラの中で殺し、ブロックハウスの言葉を借りれば、プッチーニはある意味で「朽ち果てて」しまった。
その先で、エルヴィーラを反映するトゥーランドットが心を改め、愛を知る人物に生まれ変わる、この変貌の音楽的表現に臨んで、プッチー二が如何程悩み、途方に暮れたか、想像に難くない。
プッチーニの未完の本当の理由はここにある、と、彼は解釈したのである。

で、今回の演出だが・・・

時代は、プッチーニがこれを創っていた1920年代、伝説時代ではない。
賑わいの北京の雑踏には、紳士淑女のなりの外国人もいる。オペラはまだ始まらない。
後ろには回転木馬等が見え、多くの出店も居並ぶ。中央には大きなサーカス小屋みたいなものがある。
道化がふざけて、外国人の紳士のトランクを取って開けると、中から楽譜が出てくる。
道化は何人かの人物に仮面と昔風の衣服を渡す。
オーケストラがここでやっと序奏を始める。
つまり、舞台最前部に置かれたトランクの上の楽譜に従って、オペラの始まり始まり、と、こういう訳。
仮面と衣装を渡された人物が、カラフ、ティムール、リューを演じ始める。
こうして、1920年代に、伝説時代の、言わば劇中劇が始まる。サーカス小屋が皇帝と姫の宮城に変わる。
実に巧妙な滑り出しだ。

そして、3幕、プッチーニの創ったリューの葬送迄で劇中劇は終わり、ずっと舞台前部に置かれていた楽譜もトランクにしまわれ、主役達は古代の衣服を脱ぎ棄て、カラフとトゥーランドットは、20世紀の洋装で愛の2重唱を歌い、熱い接吻を交わす。
ここから物語がエピローグに移ったという事が、観客にも判る。
トゥーランドットの人間としての変貌はプッチーニの頭の中にあって具現できなかった事、でも、時を変え、当代のエピローグとしてなら、こんな愛の成就もあるか、と、観客は想いを巡らせる。

原作 カルロ・ゴッツィ
台本 レナート・シモーニ,ジュゼッペ・アダーミ
作曲 ジャコモ・プッチーニ(補筆 フランコ・アルファーノ)

演出 ヘニング・ブロックハウス
指揮 アントネッロ・アッレマンディ
演奏 東京フィルハーモニー交響楽団

出演
トゥーランドット イレーネ・テオリン(s)
カラフ ヴァルテル・フラッカーロ(t)
リュー 浜田理恵(s)
ティムール 妻屋秀和(b) 他

伊語全3幕

オペラの前と後ろを( )で括った演出も面白かったが、集団の演出という面が大変卓越していた。
常に50人以上はいようかという舞台で、道化あり、アクロバットあり、ダンスありという展開だが、それが散漫にならず、しっかり芯のある集団演技になっていた。
ティムール役の妻屋は、先日書いた『ドン・カルロ』で大審問官役をやっていた人。演技力のあるバス。
リューの浜田は、両外人の間で線が細いかなと心配したが、確かに体は小さいけれども、進むにつれ堂々としていた。リューは同情をひく役柄だが、声迄貧弱では悲劇が成立しない。
アッレマンディの指揮するオーケストラは、プッチーニの中で進化したオーケストレーションの最後の充実の姿を示し、説得力があり感動を呼ぶものだった。
 
*写真1はイレーネ・テオリンのトゥーランドット姫
*2は舞台全景
 
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