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2024年04月13日16:29

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ストロング小林さん追悼(655)

80年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」は7月11日、愛知県津島市民会館(テレビ収録、観衆1,500人発表)大会で開幕。

ブルーザー・ブロディ、アーニー・ラッド、ドン・デヌーチ、パンピロ・フィルポ、リック&ジョンのデビッドソン・ブラザーズ、デビット・サンマルチノの外国人レスラーが参加。Dサンマルチノはブルーノ・サンマルチノの息子で初来日。デヌーチはDサンマルチノのお目付け役というか、叔父のような立場での来日でしょう。

日本側は77年7月に大相撲から全日本プロレス入り、日本で基礎トレーニングを受けた後、同年12月にテキサス州アマリロのドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンクのザ・ファンクスの許に預けられ、そこからアメリカ、プエルトリコマットでキャリアを積んだ元トンガ力士の福ノ島(本名トンガ・ウリウリ・フィフィタ、当時21歳)がプリンス・トンガのリングネームで凱旋しています。

開幕戦でトンガは日本デビュー戦を行い、セミファイナルでリックをドロップキックから首固めでフォールしました。

開幕戦メインイベントは8月4日、館林市民体育館でインターナショナル・タッグ王座を賭けて対戦する馬場&鶴田組とブロディ&ラッド組が、ノンタイトルの前哨戦で対戦し1本目はリングアウト勝ち、2本目は反則勝ちで馬場&鶴田組がスコアの上ではストレート勝ちしていますが、内容は挑戦者チームに押されっ放しでした。

7月18日、長野県穂高町(現在の安曇野市)総合体育館(テレビ収録、観衆3,500人満員発表)大会ではトンガが鶴田とタッグを組んでメインイベントに出場、リック&ジョンのデビッドソン兄弟と対戦、1本目はトンガがジョンをドロップキックから片エビ固め、2本目は鶴田がリックをサイド・スープレックスから片エビ固めでフォールし鶴田&トンガ組が2−0のストレート勝ち。

セミファイナルでは馬場とブロディがノンタイトルのシングルマッチで対戦し、両者リングアウトに終わりました。

7月20日は日曜日の後楽園ホール(夜興行、観衆2,300人発表)大会。ノーテレビでしたが、私はこの興行は生観戦しています。

トンガが首都圏初登場、メインイベントで馬場&鶴田とトリオを結成しブロディ&ラッド&フィルポ組と6人タッグマッチで対戦、1本目は日本組が反則勝ち、2本目はトンガがフィルポを片エビ固めに決めて反則含みながら2−0のストレートで馬場&鶴田&トンガ組が勝利を飾りました。

7月25日、長崎県小浜町(現在の雲仙市)体育館(テレビ収録、観衆2,500人発表)大会ではトンガが師匠馬場と2人だけでタッグを結成、ブロディ&フィルポ組と対戦。1本目はブロディのキングコング・ニードロップの洗礼を浴びたトンガが片エビ固めでフォール負け。2本目は外国人組がチェーンを持ち出して日本組の反則勝ち、決勝の3本目はトンガがフィルポからドロップキックから片エビ固めで押さえ込み、2−1で馬場&トンガ組が辛勝しています。

セミファイナルではアジア・タッグ王者チームのグレート小鹿&大熊元司組がリック&ジョンのデビッドソン兄弟とノンタイトルのタッグマッチ45分1本勝負で対戦、小鹿が片エビ固めでジョンからフォール勝ちしました。

デビッドソン兄弟はアジア・タッグ王座には挑戦させてはもらえませんでした。強くはないですが試合内容はさほど悪くはなく、この試合をタイトル戦にしても良かったのではないかと思います。

8月1日、静岡県浜北市(現在の浜松市浜北区)民体育館(テレビ収録、観衆3,800人満員発表)大会ではインターナショナル・タッグ選手権試合本番3日前の前哨戦、馬場がタイガー戸口をパートナーにブロディ&ラッド組と対戦。

1本目はラッドが戸口をジャンピング・ボディプレスから体固め、2本目は戸口がラッドのジャンピング・ボディプレスを自爆させたところ逆にボディプレスで押さえ込んで体固め、決勝の3本目はブロディがキングコング・ニードロップから馬場を体固めでフォールし、ブロディ&ラッド組が2−1で完勝しています。

トンガはセミファイナルでDサンマルチノと対戦し片エビ固めで勝利を収めました。

8月4日、群馬県館林市民体育館(郷谷体育館、テレビ収録、観衆2,200人発表)大会。メインイベントは馬場&鶴田組にブロディ&ラッド組が挑戦したインターナショナル・タッグ選手権試合。全員2メートル級というスケールの大きな4人が激突。

ブロディは1月3日後楽園ホールでアンジェロ・モスカ、6月29日トロントでスコット・アーウィンとパートナーを代えて3回連続の同王座挑戦となりました。

1本目はラッドが206cmの長身を活かし、鶴田にネックハンギングツリーからギロチン・ドロップを決めて体固め、2本目はブロディがチェーンを持ち出して日本組の反則勝ち、決勝の3本目は王者チームがラッドに的を絞り、馬場と鶴田のツープラトンでのアトミック・ドロップの後、馬場の16文キック、最後は鶴田がジャンピング・ニーパットからエビ固めでラッドからフォールを奪い、2−1で馬場&鶴田組が3度目の王座防衛を果たしました。

シリーズ最終戦は8月7日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,300人発表)大会。7月20日に次いでこの興行も会場で生観戦しました。

メインイベントは鶴田にブロディが挑戦したUNヘビー級選手権試合、1本目はブロディがアトミック・ドロップ、ドロップキックから体固め、2本目は鶴田がジャンピング・ニーパット2連発、サイド・スープレックスから片エビ固め。 

決勝の3本目は場外でブロディがバックドロップを見せましたが鶴田がコーナーポストをキック、そのまま共倒れとなり、両者リングアウトで鶴田が1−1の引き分けで2度目の防衛に成功。鶴田は初防衛戦のビル・ロビンソン戦に次いで2回連続ドロー防衛、「善戦マン」と呼ばれることが定着していました。

セミファイナルで馬場はラッドとノンタイトルのシングルマッチ60分1本勝負で対戦、馬場とラッドは70年9〜11月の日本プロレス「NWAタッグ・リーグ戦」以来10年ぶりの一騎討ちとなりましたが、僅か7分50秒、フライング・ボディシザースドロップ一発からの体固めであっさりフォール勝ちしました。

元NWF世界ヘビー級王者であり、74年3月にオハイオ州クリーブランド、11月に札幌と2度に亘り猪木と同タイトルを賭けて接戦を展開したラッドにいいところを全く出させず完封してしまいました。PWFヘビー級王座に挑戦させてもおかしくないレスラーですが、ベルトを賭ける相手でもなかったということでしょう。

後楽園ホールは7月20日、8月7日の2回開催しましたが、いずれも2,300人発表と満員には成らず。まだブロディがエースでは集客が厳しかったです。新日本プロレスの「サマー・ファイト・シリーズ」は後楽園ホールでの開催はなし。

全日本プロレスは地方は中小規模の会場ばかりでした。直接同一会場でのニアミスはありませんでしたが、8,000人発表と満員にはならなかったものの、7月17日に蔵前国技館大会を開催した新日本プロレスの勝ちだったことは間違いないところです。
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