ホンダ・アキノ「二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎」2023年9月平凡社刊
本書に手が伸びたのは、若年の頃、司馬遼太郎の「微光の中の宇宙」という、
美術に関する論考を読んで、深く感動したことがあったからかもしれません。
司馬遼太郎は,作家になる前、美術や宗教を担当する新聞記者であったという話は
有名ですが、美術に関する「粋」が、この本には収録されていました。
もうひとり、井上靖については、もちろん作家としての盛名や、文学史的な知識は
あるものの、私は読者ではありませんでした。
本書は、この二人の作家のように、美術記者としてキャリアをスタートした著者が、
その後、出版社で編集者となって、精神的な遍歴を経て、二人の作家が気になって
追求せざるを得なかった、個人的なパッションから描かれたもののようです。
その思いがとても切実で、私も、司馬遼太郎の読者であって、美術にも大いに関心
があるので、大変興味深く、読了できました。
いやぁ、面白かったです。
本書の惹句を、少し長いですが、引用しますね。
”新聞記者時代、美術と宗教を担当し、作家に転身した共通点をもつ井上靖と
司馬遼太郎。のちに国民的作家となった二人の知られざる美術記者としての葛藤の日々、
対照的な美へのまなざしを追う。”
”「一人はその仕事を積極的に受け入れて精力的に取り組み、その後も生涯、美術と
密接な関係を保ちつづけた。もう一人はその仕事を「忌み嫌い」、
やがて役目から解放されたあと自由に美術と接する醍醐味を知った。”
”なりゆきであれ、二人は新聞記者として時代の美術現場とどのように向き合ったのか。
その経験はのちに何をもたらしたのだろう」”
目次と小見出しの抜粋も紹介します。
第一章 遅咲きの桜──須田国太郎のこと
第二章 一期一会と想像力の飛翔──井上靖を中心に
一創造美術のスクープとその前後
二 惚れこみと物語化──ゴヤへの熱中
三 西域の旅──シルクロードにて
第三章 狂気とかなしみへの共振──司馬遼太郎を中心に
一 「絵描きになろうとおもった」
二驚きのその先へ──八大山人
三 狂気と「文学」──ゴッホと鴨居玲
四章 美術の先へ──それぞれのアプローチ
一美を超えたもの──上村松園
二 生命の発光──三岸節子
三 陶とはなにか──井上靖と河井寛次郎、司馬遼太郎と八木一夫
第五章 二人の宗教記者
一 宗教記者・井上靖
二 宗教記者・福田定一と司馬遼太郎
三 仏塔と書のことなど
おわりに──回り道の恩寵
あとがきで、著者は、次のように呟きます。
”絵を見ることが、素直に楽しい。いつからだろう。たぶん、美術を仕事にすることを
忘れたころからのような気がする。”
”二十年ほど前、司馬遼太郎さんの「裸眼で」を初めて読んだとき、あっと心の中で
声が出た。「もはや仕事で絵を見る必要がなくなったときから、大げさにいうと自分
をとりもどした。」「なにより驚いたことは、絵を見て自由に感動できるようになった。」”
”近代絵画理論の拘束から解き放たれ、「裸眼で」絵を見るよろこびに慄くばかりの司馬
さんに出会い、おこがましくも、似たような思いが蘇った。”
さらに
”思えば長い時間をかけて断続的に書いているうちに、二人の美術記者への興味は、
二人の生き方への興味へと移っていった感がある。人はつねに選択と決断と行為を
しつづけなければならない。一度きりの人生をどう生きるか。それはそのまま、自分
の問題としてつきつけられる。”
全く、同感ですね。著者は、自分の課題を解決するために、こんな本を書かねば
ならなかったようです。
その熱い思いの余沢を、読者として、味わうことができました。
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