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【第12回フランク永井歌コンクール告知】
2024(R6)年3月16日(土)17日(日) 大崎市松山体育館
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フランク永井 歌コンクール official サイト
https://f-nagai.m-machikyo.com/
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新年から歌手の訃報がありました。年末に亡くなられた八代亜紀、元旦には冠二郎さんです。歌謡曲のファンとして、こころからご冥福を申し上げます。
フランク永井と冠さんの関係はほとんど存じ上げませんが、八代亜紀とはやや関係がありました。
テレビ番組でフランク永井は八代亜紀と「東京ナイト・クラブ」をデュエットしています。
八代亜紀は石原裕次郎と、彼の代表的なデュエット曲「銀座の恋の物語」をそしてビクターとの交換契約でフランク永井この「東京ナイト・クラブ」を、きちんとレコードにして出しています。
八代亜紀は彼女のハスキーな声と歌い方から、いつのまにか「ムード」歌謡の代表的な歌手のような扱いになっていました。
八代の代表曲は「舟唄」の印象が絶大なのですが、もう一つ上げるとすると「雨の慕情」ですね。「舟唄」の作詞は阿久悠で浜圭介の作曲だ。この歌は美空ひばりを念頭に置いて作詞されとというのは有名です。そんな事情は知らなかった浜は、偶然にもひばりをイメージして作曲をしたそうです。
八代の歌を探していたマネージャーというかディレクターは浜がそのような歌を作ったことを知って、横取りしてしまったようです。だが、八代がこの歌を見事に歌いきるのをみて、八代の歌唱力のすごさを実感し八代の歌で成功だったと感じたとのエピソードがありました。
もうひとつの「雨の慕情」は1980年の作品です。同じ阿久悠作詞、浜圭介作曲です。
同名の「雨の慕情」(作詞宮川哲夫、作曲奥崎進)は1967年にフランク永井が発売しています。東海テレビ「ミュージック・カレンダー」の主題歌でした。そのようなつながりで「雨の慕情」を八代が出したときには、えっと思ったものです。
フランク永井のは誰も知らないに近いのにたいして、八代亜紀のはビッグ・ヒットになったので納得するしかありません。阿久と浜のコンビ作品ですから、当然なのでしょうね。
八代は当時流行だったトラック野郎と呼ばれる長距離の運転手の間で、絶大な人気を誇っていました。だから、社内のテープで聞いて心地よかったのですね。
ハスキーさとフランク永井同様のささやくような歌唱法が、ムード歌謡とつながったのかと思います。裕次郎とのデュエット以来、特にその傾向で見られるようになり、ついにテレビでフランク永井とデュエットにまでなりました。
銀座のクラブで歌うというのは、松尾和子もそうでしたが、相当な実力が問われます。ジャズを含めて幅広い曲を歌わされます。よほどの実力がないと継続できません。
クラブ歌手をやめてレコード歌手専属になると手元に入るギャラガ何分の一に減ります。それでもレコード歌手として歌が売れば、一人前に自立していけます。八代はそのようにして近年は歌謡界を代表する一人にまでなっていました。
近年は絵画でも有名でした。テレビの番組を持っていましたので、大変に忙しそうでした。まだまだこれからというように見えただけに、残念に思います。
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