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2023年06月20日13:02

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「歌声喫茶の時代」を忍ぶ

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【第12回フランク永井歌コンクール告知】
  2024(R6)年3月16日(土)17日(日) 大崎市松山体育館
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 「武田鉄矢の昭和は輝いていた」で作者不詳の流行した歌を紹介していました。ゲストは多摩幸子と三沢あけみらです。たいへん楽しませてもらいました。
 多摩幸子の「北上夜曲」、三沢あけみの「アリューシャン小唄」などを先頭に「お座敷小唄」など多数あるのがよくわかりました。
 そしてその後に、作者が判明するというドラマも面白いエピソードです。作者が後で判明では、フランク永井の恩師吉田正の「異国の丘」について、ここでは何度も取り上げている典型的なドラマチックな話題です。
 作者不詳の曲を各レコード会社がきそって取り上げたということ、その理由に著作権の支払いがないので売れれば利益があがることだったとも。
 私は昭和40年初頭に田舎から東京へ出てきたのですが、音楽と接して、いろいろな曲を歌って知ったのは、歌声喫茶があります。
 同僚と一緒でした。新宿の「ともしび」とか「どん底」とかありました。吉祥寺にもあり、以前にブログで触れましたが、小さな舞台での演奏家に友人がいて、当時そこでガンガンと声を飛ばしていた上条恒彦もいました(ちなみに、上条の「サトウキビ畑」はいまでも思い起こします)。
 そうした場所では小さな歌集があって、飲み物をひとつ注文するだけです。知っている歌も、知らない歌も、全員がリーダーにあわせて歌います。席はぎゅうぎゅう詰めのようなので、周囲の人とも歌いながら親しくなります。
 そこには今でいうところの悪い奴はいなかったですね。みんなが実に素朴で、開放的で、しかも皆貧乏でした。だけと、そこで得た同じ年代の若者のエネルギーの発散のパワーは忘れません。
 歌声喫茶についてはやはり、以前のブログでも取り上げました。それは数年前に「新宿ともしびの出張」ということで、私の住む町にきて、そこに参加したことです。
 会場を埋めた人びとの面々は、当時の若者たち、つまり平均年齢が70歳以上で、30代の方と思えるひとがちらりほらりでした。
 また当時歌声喫茶で覚えた曲に芹洋子「四季の歌」があります。ちょうどタイミングよく今週の「定年時代」(朝日新聞の日曜日に入ってくる)に掲載されていました。
 芹洋子は数か月前に「武田鉄矢の昭和は輝いていた」で出ていて、元気なお姿を久しぶりで見たところでした。記事によれば、地域の合唱団と共演する全国ツアーを行うとのことです。
 彼女は一時期記憶をなくすほどの事故にあって、長年リハビリで大変だったのは知っていましたが、ここまで回復して、また当時のファンに歌を伝えようとしています。
 歌声喫茶と言う日本の大衆文化史で、欠かせない出来事。全国の職場に、地域に「うたごえ運動」もあった時代です。この出来事は、確かに過去のものになり、今の時代の流れが続く限り再び社会に復活することはないのでしょう。
 しかし、この事実は次代を経験したものにとって、プラスはあってもマイナスがあったとは思えません。そんなことをツラツラと感じました。

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