mixiユーザー(id:3341406)

2023年06月15日16:34

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妙恩寺と徳川家康の関係

5/11(木)と21(日)の日記に、本乗寺にある三方ヶ原の合戦の戦没者の魂を鎮める「精鎮塚」について書いた。
後者の最後に、本乗寺は妙恩寺の塔頭「本乗坊」を移築する事でスタートしたと、その由来について簡単に触れた。
そして、その妙恩寺と徳川家康の関係についても付記した。
 参)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985105657&owner_id=3341406

それでは実際に妙恩寺に行ってみようと思い立ち、車で出かけた。
本乗寺は三方原、妙恩寺は天龍川町にある。
ややこしいが、天龍川町は天竜区でなく、東区のJR天竜川駅の近くで、我が家からだと車で40分程で行ける。
妙恩寺は日蓮宗のお寺で、山号は長光山。

下の写真は本殿。正式名は経王寶殿(きょうおうほうでん)。
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堂前に対である石マスに、家康と本寺の関係を象徴する「はしわ」の寺紋が彫りこまれているのが見えるだろうか。「はしわ」(丸に二引き)の由縁は、上のリンクを参照頂きたい。
クローズアップすると、以下の通り。
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三方ヶ原合戦の前哨戦である磐田の「一言坂の戦い」から逃げ帰る途中の家康を、当時の本寺住職第11代目 日豪上人(にちごうしょうにん)は天井裏にかくまったと伝えられている。

その天井裏を見る事ができるのではないかと期待していたのだが、数度の大地震や太平洋戦争下での艦砲射撃と大空襲もあり、老朽化激しく雨漏りも酷くなっていたため、1994〜95(平成6〜7)年、耐震化を兼ねた「平成の大改修」を行い、新たな本堂に天井裏は存在しないとの事。

家康を助けた功績から、妙恩寺は斎田24石の朱印寺としての制札を受けた。
以下、江戸幕府より交付されたとされる朱印。(恐らくレプリカ)
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日豪上人は、のち浜松城近くに隠居寺(現 法雲寺)を与えられ、家康と囲碁を指す仲だった由。

こちらは本殿の美しい格天井。菊の紋が見えるが謂われはについては調べる事ができなかった。
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本寺は、鎌倉時代、1311(応長元)年、日蓮上人の孫弟子 日像(にちぞう)上人(1269-1342)の開山で、2010(平成22)年には草創700年を迎えた。

境内と墓地には、明治時代、天竜川の治水事業や北海道の開拓に私財を投入し、近代日本の発展に寄与した金原明善(1832-1923)と、昭和初期にブラウン管による受像に世界で初めて成功、「日本のテレビの父」と呼ばれるようになった高柳健次郎(1899-1990)の墓がある。
下は前者の墓。
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