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2022年07月25日05:40

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ストロング小林さん追悼(200)

76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」参加選手プロフィールの続きです。「黒い核弾頭」ビクター・リベラは73年9〜10月の「闘魂シリーズ」以来2年半ぶりの来日。

44年プエルトリコ・サン・ホセ出身、少年時代の54年に一家でアメリカのニューヨークに移住。同じプエルトリカンのペドロ・モラレスに憧れプロレス入り、64年に地元ニューヨークのWWWF地区でデビュー。以降、NWA圏テキサス、ジョージア、カンザスなどを転戦、67年にはロサンゼルスのWWAにて憧れのモラレスとプエルトリカン・コンビを結成、7月29日にカール・ゴッチ&マイク・デビアス(テッドの父親)組を降してWWA世界タッグ王座を獲得した。同年11月にはロサンゼルスルートから日本プロレスに初来日しています。

2003年に日本テレビ系列のVAPから発売されたDVD「闘魂伝説〜若獅子 新時代への咆哮〜」に日本プロレス時代の猪木&吉村道明組vsバロン・シクルナ&リベラ組の試合が収録されています。(この年は大晦日に日本テレビが格闘技イベント「猪木BOM−BA−YE」を神戸ウイングスタジアムにて開催したことから、長く敵対関係にあった日本テレビが猪木に急接近した年)

69年にWWWFに戻り、12月9日にニューヨークMSGでトニー・マリノと組んでプロフェッサー・タナカ&ミツ荒川組を破り、WWWFインターナショナル・タッグ王座を獲得。以降WWWFベビーフェイスの「関脇」クラスのポジションで活躍、キラー・コワルスキー、ワルドー・フォン・エリック、ジョージ・スチール、エリック・ザ・レッド、イワン・コロフ、ジート&ベポのザ・モンゴルズなどのヒールと対戦しています。

翌70年6月15日にMSGでザ・モンゴルズに敗れてタイトルを失ってからは、WWAの後継プロモーションであロサンゼルス地区のNWAハリウッド・レスリングに定着。72年12月1日、アーニー・ラッドから同地区のフラッグシップ・タイトルだったアメリカス・ヘビー級王座を奪取する、以降80年代初頭にかけて、ブラック・ゴールドマン、テリー・ファンク、ジョン・トロスらを破り同王座を通算6回獲得の実績を持ちます。

並行して古巣のWWWF地区にも参戦し、75年5月13日にはドン・デヌーチとのコンビでジミー&ジョニーのバリアント・ブラザーズからWWWFタッグ王座を獲得。以降、ボビー・ダンカン&ブッチャー・バション組やザブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザのザ・ブラックジャックスなどのチームを相手に防衛戦を行いたが、同年夏起きた新団体のIWAに移籍することを決め、リベラの後任のタッグ王者にはパット・バレットが起用されることになりましたが、結局はIWAが資金不足でほどなく活動停止した為にWWWFへ出戻り。

73年9月、新日本プロレスの「闘魂シリーズ」に初参戦、坂口征二と組んでルー・テーズ&カール・ゴッチ組と対戦する「世界最強タッグ戦」の行われる2日前、10月12日、横浜文化体育館で猪木ともシングルマッチで対戦、16分40秒に卍固めでギブアップ負けをしています。

今回は兄貴分であるモラレスと一緒であり、モラレス優勝をアシストする援護射撃に回ると見られます。

「炎上仮面」タワーリング・インフェルノは前75年の第2回大会に出場したスーパー・デストロイヤーことネイル・グアイの変身で2年連続2度目の参戦。リングネームは当時大流行したパニック映画のタイトルを拝借したもの。

前回は初来日ながら猪木、坂口、大木金太郎、キラー・カール・クラップの上位陣には負けましたが公式戦最終日、ストロング小林と両者リングアウトでS小林の単独2位決勝進出を阻止、弱体と言われた外国人勢で気を吐き、10勝4敗1分の好成績でリーグ戦を面白くしました。日本ではマスクを剥がされることはありませんでしたが、リーグ戦終了後に参加した韓国遠征で75年5月23日、ソウル市奨忠体育館で大木のインターナショナル王座に挑戦して敗れてマスクを剥がされ、正体がグアイであることが明らかにされています。

前回はクラップに次ぐ二番手扱いでしたが今回はモラレス、リベラといった格上の選手がおり、真価を発揮出来るか注目です。

新日本プロレス初登場となる「屠殺人」ブッチャー・バション。ご存知「狂犬」マッドドッグ・バションの実弟。1938年5月カナダ・ケベック州モントリオール出身の当時37歳。初来日は67年4月の日本プロレス「第9回ワールド・リーグ戦」。ここでこのシリーズから、東京プロレス崩壊により日本プロレスに復帰した猪木と対戦。

71年2月には国際プロレスに兄マッドドッグとのAWA世界タッグ王者チームとして国際プロレスに来日しましたがS小林はアメリカ武者修行中であり対戦なし。74年1月、S小林国際プロレス所属最後のシリーズとなった「新春パイオニア・シリーズ」に単独で来日してこの時には対戦しています。前75年にニューヨークのWWWF地区に登場、7月12日にはMSGでアンドレ・ザ・ジャイアントとシングルマッチで対戦し敗退、今回WWWFルートから新日本プロレス初参戦となりました。
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