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2022年07月23日12:49

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ストロング小林さん追悼(198)

76年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦の翌日、3月19日、午後2時から代官山の日本プロレス(残務処理中)事務所で芳の里社長が記者会見を行い、日本プロレスの事務所の金庫に眠っていたアジア・ヘビー級とアジア・タッグの両王座をNWAの認可を受けて復活させたことを発表しました。

以下、芳の里社長が発表した声明文を当時の「東京スポーツ」より引用してみたいと思います

アジア選手権問題に関する声明

故・力道山先輩以来の伝統を誇る日本プロ・レスリング興業株式会社は、さる昭和48年5月以降、諸般の事情をもって興行活動を停止しておりますが、レスラー契約及びNWA活動はなお継続中であることは皆様すでにご承知のことと思います。

さて、近頃世上においてアジア選手権開催問題が取り沙汰されるようになりましたが、日本プロレスとしては故・力道山先輩の伝統を継ぎ、確固たる地盤とプロレス史上に築き上げた実績に立って、力道山先輩の偉業を記念する由緒あるアジア・シングル選手権、同タッグ選手権の継続及び名称復活をNWA本部に対し要望いたしておりましたるところ、ジャック・アドキッセン(フリッツ・フォン・エリック)会長より、2月29日付をもって許可の回答を得ました。

よってアジア・シングル選手権については最終保持者の大木金太郎選手の意思を尊重、また同タッグ選手権については最終保持者チームの意思を尊重して両者に選手権試合開催の許可を与える所存であります。

この日本プロレスの意向は、すでに両選手権試合開催有資格者に伝えてあり、一日も早く全国プロレス・ファンの前にこの由緒あるベルトの復活実現をみたいと念願する次第です。

尚、アジア・シングル選手権及び同タッグ選手権のチャンピオン・ベルトは日本プロレスリング興業株式会社が現在保有し一切の権利を継承していることを表明します。

昭和51年3月18日、日本プロ・レスリング興業株式会社代表 長谷川淳三。

このアジア選手権復活戦には、全日本プロレスからザ・デストロイヤー、グレート小鹿、大熊元司、桜田一男の4選手が参加。記者会見から1週間足らずの3月25、26日の両日に亘り、韓国・ソウル市文化体育館(前75年9月、大木の韓国での功績が讃えられて建立された新しい体育館)でシングル、タッグの両王座決定戦が行われると発表される手回しの良さ。

これは1か月前の2月16日、新日本プロレスの事務所で猪木と新間寿が発表した「アジア・リーグ戦」構想を受けて馬場が芳の里に手を回して「こっちが本家」とばかり、本家本元の2大王座を復活させたものでした。

ソウル大会初日の3月25日は日本プロレス時代の最終王座保持者である大木が小鹿を2−1でアジア・ヘビー級王座を防衛。アジア・タッグ王座は最終王座保持者であった小鹿が大熊元司をパートナーに指名し、韓国・金一道場の呉大均&洪武雄組と王座決定戦を行い、2−1で小鹿&大熊組の極道コンビがタイトルを獲得しています。

新日本プロレスの「アジア・リーグ戦」の日程が76年7月9日〜8月5日と発表されたのは、モハメド・アリ戦が6月26日に決まっていたからでしょうが、先に歴史と伝統のベルトを復活されてしまったのは新日本プロレスにとっては痛手でした。

さて、「ビッグ・ファイト・シリーズ」終了後の3月25日。ニューヨークのプラザホテルで調印式が行われ、紋付袴姿の猪木は初めてアリと相対します。

カーキ色のシャツを着用したアリは猪木に「お前のその長い顎はペリカンみたいだな、今日からお前をペリカン野郎と呼ぶことにする。おい、ペリカン野郎、お前の顎は俺のパンチ1発で砕いて再起不能にしてやる」と得意のアピール。

紋付羽織袴というスタイルで調印式に臨んだ猪木は終始、微笑を絶やさず、「私は口では闘わない」と泰然自若とした態度でアリの挑発を柳に風と受け流して臨み、「東洋的神秘」の恐怖感をアリに植え付けました。

猪木は「風林火山」などの言葉を用いてニューヨークタイムズをはじめとする海外マスコミに「静かなる禅の達人」などと評されました。後に猪木は、この時について「アリは相手を挑発して自身を鼓舞しているが、内心は怖いんだろう」と逆に冷静になれた、と語っています。

アリのファイトマネーはアリ側の主張する1,000万ドル、猪木側の提示する600万ドルで攻防が展開されていました。

アリは世界超一流のエンターティナー。猪木を毒づく憎い表情を見せたかと思えば、同伴していた倍賞美津子夫人(当時)には格好を崩して色目使いをします。

「お前のワイフは美しいな。よしお前のワイフの美しさに免じて600万ドルから10万ドルだけ上乗せした額で受けてやる。その代わり俺が勝ったら、お前のワイフを貰うぞ!」という「落としどころ」を見せました。

結局、アリのギャランティは計610万ドル(当時のレートで約18億3,000万円。試合前に180万ドル、試合後に120万ドル、クローズドサーキット(有料衛星放送、今で言うライブビューイング)上映の収入から310万ドル)。猪木のギャランティは350万ドル(同10億5,000万円)という、超弩級スケールで決着します。

3月28日、蔵前国技館では全日本プロレスと国際プロレスの全面対抗戦が行なわれ、日本人選手のみの興行で9,800人、満員の観衆を動員しています。

全日本側は御大馬場とデストロイヤーが不参加、試合は全10試合行われました。対戦成績は4勝4敗2分でのドローに終わりました。

第8試合に組まれた実質メインの「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」第2戦、vsラッシャー木村戦は1−1からの3本目、鶴田のジャーマン・スープレックスホールドのブリッジが崩れ、両者ダブル・フォールの引き分けに終わりました。鶴田十番勝負の成績は2戦2分。

最終試合の第10試合、2日前の3月26日に韓国・ソウルで復活アジア・タッグ王座を獲得した小鹿&大熊組と国際プロレスのIWA世界タッグ王者チーム、グレート草津&マイティ井上組によるダブル・タイトルマッチが組まれ、1−1から両チームリングアウトの引き分けで小鹿&大熊組はアジア・タッグ初防衛、草津&井上組はIWA世界タッグ3度目の王座防衛にそれぞれ成功していますが、

「国際の看板タイトルであるIWA世界タッグ王座はインターナショナル・タッグ王座と同格に非ず、アジア・タッグ王座と同格」と位置付けられてしまったことで以後の対抗戦のマッチメイクの物差しになったことは事実でした。
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