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2022年07月17日08:21

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ストロング小林さん追悼(192)

76年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」は2月20日、大田区体育館で開幕。グレート・ゴリアス&ブラック・ゴールドマン組のレッド・デビルス、マイク・スターリングス、ロン・スター、ドン・セラノの外国人選手がシリーズ全戦参加。2週目より元NWF世界ヘビー級王者「死神」ジョニー・パワーズが特別参加。

また,ゴリアス&ゴールドマン組のプレーイングマネージャーとして「クライベイビー」マンマウンテン・カノン(ジョージ・カノン)が参戦しています。

ゴリアスは1934年6月18日 、メキシコのシウダー・フアレス出身で当時41歳のベテラン。59年にメキシコでデビュー、重量級のルードとして活躍し69年3月30日、ヘンリー・ピルーソを破ってナショナル・ヘビー級王座を獲得。同年12月20日にラウル・レイエスに敗れタイトルを失うもミル・マスカラス渡米後のメキシコ国内におけるヘビー級戦線のスペル・エストレージャとしてのポジションを築きました。

70年9月よりアメリカに進出し、ヒスパニック系移民の多いカリフォルニア州ロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングに参戦。地区デビュー戦となる9月16日、グレート小鹿からTV選手権を奪取。戴冠中の12月4日には、当時ベビーフェイスのポジションにいたフレッド・ブラッシーの保持していたアメリカス・ヘビー級王座に、反則裁定なしのデスマッチ形式で挑戦するも敗退しました。

先んじてメキシコからロサンゼルス地区に参戦していたブラック・ゴールドマンのパートナーとなり、70年代全般に亘り、ゴールドマンとのコンビでマスカラス&レイ・メンドーサ組、キンジ渋谷&マサ斎藤組、ハリウッド・ブロドンズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組)、SDジョーンズ&トム・ジョーンズ組などのチームを破ってアメリカス・タッグ王座を再三にわたって獲得しています。

他地区にもゴールドマンと共に遠征、やはりヒスパニック系人種が多数住んでいるテキサス州アマリロ地区では73年6月18日にリッキー・ロメロ&ムース・モロウスキー組からウエスタン・ステート・タッグ王座を、テキサス州ダラス地区では同年8月6日にホセ・ロザリオ&イワン・プトスキー組からテキサス・タッグ王座をそれぞれ奪取するなどトップクラスで活躍。

ゴールドマンとのタッグは「泥棒コンビ」(姑息な反則を駆使してベルトを獲得するタイトル泥棒の意)、「胡麻の蠅コンビ」(強盗、詐欺師の意)と呼ばれ、小狡いプレイでヒールとして名を轟かせました。

71年5月、ゴールドマンとので日本プロレスの「ダイヤモンド・シリーズ」に初来日。6月17日仙台・宮城県スポーツセンターにおいて、猪木&吉村道明組が保持していたアジア・タッグ王座に挑戦、2−1で敗れています。

再来日となった72年8月25日、後楽園ホールで開幕の日本プロレス「第2次サマー・ビッグ・シリーズ」にもゴールドマンとのコンビで参戦。馬場が独立の為日本プロレスを離脱しての最初のシリーズでした。

同シリーズにはブル・ラモスとクリス・マルコフも来日していましたが、9月18日の山梨県甲西町大会の試合後、ラモス、ゴールドマンと共にマルコフを相手にリング外での乱闘事件を起こしている。白人のマルコフがヒスパニック系のラモス、ゴリアス、ゴールドマンに対して人種差別的な発言をしたことが原因だったとされています。この乱闘で、ゴリアスはマルコフの右耳を、マルコフはゴリアスの左手の親指を食いちぎったというエピソードが残されています。

ゴリアスのパートナー、ゴールドマンは1936年10月4日、メキシコシティ出身。メキシコでデビュー以来、ルードのマスクマンとして活躍していましたが、64年10月30日にエル・エンフェルメロとのマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者覆面剥ぎマッチ)に敗れて素顔となりました。

66年9月6日にはパンテラ・ネグラを破りナショナル・ヘビー級王座を獲得するも短命王者となり、中軽量級が主軸であるメキシコのマット界では真価を発揮できず新天地を求めてアメリカへ進出。

ゴリアスより1年9か月早い69年1月よりロサンゼルス地区に参戦。当初はベビーフェイスのポジションで、フレッド・ブラッシー、ハーリー・レイス、マルコフ、ルーク・グラハムらと対戦。同年2月7日にはペッパー・ゴメス(この年の4月、日本プロレスの「第11回ワールド・リーグ戦」に1度だけ来日)と組んでネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズ組の「牧童コンビ」を破りアメリカス・タッグ王座を獲得。4月9日には同じメキシカンのアルフォンソ・ダンテスを下してTV王座を獲得しました。

その後はヒールターン、ミル・マスカラスとの抗争を開始、マスカラスの宿敵だったブル・ラモスのパートナーとして、7月24日、カリフォルニア州ベーカースフィールドにおいてマスカラス&ダンテス組を破り、アメリカス・タッグ王座に返り咲きました。9月19日にはマスカラスの覆面と自身の頭髪を賭けたマスカラ・コントラ・カベジェラ(敗者髪切り&覆面剥ぎマッチ)で対戦も敗退。その1週間後、69年9月、日本プロレスの「ダイヤモンド・シリーズ」に初来日。来日はゴリアスより早いです。

ロサンゼルス地区での実績を買われ、9月28日、大阪府立体育館にてザ・デストロイヤーと組み、馬場&猪木組のBI砲が保持していたインターナショナル・タッグ王座に挑戦しましたが、2−1で敗戦。11月1日には蔵前国技館で、大木金太郎のアジア・ヘビー級王座にも挑戦、こちらも2−1で敗れています。(蔵前のメインは馬場&猪木組にデストロイヤー&バディ・オースチン組が挑戦したインターナショナル・タッグ選手権試合)

71年5月、ゴリアスとのタッグで日本プロレスに再来日、以下はゴリアスのエピソードと重複しますので割愛します。

ねちっこさではハリウッド・ブロンドス以上と言われるレッド・デビルスは3月4日、広島県立体育館で坂口征二&ストロング小林組の北米タッグ王座初防衛戦の相手に決定しています。レッド・デビルスは猪木、坂口とは対戦していますがS小林はこれまで接点がなく、初対決。

初来日のスターリングスは1948年ジョージア州出身の当時27歳の新鋭。元プロ野球選手から66年にプロレス転向、地元ジョージア州を中心に活躍、実力は未知数ですが185cm、108kgと均整の取れた身体で期待の新星です。

初来日の「流星」ロン・スターは1950年アラバマ州モビール出身の当時25歳。デビュー後はボビー・スターのリングネームで活躍。73年より現在のリングネームに改名しジョージア、フロリダ、ミッドアトランティック地区などを転戦して、若手のベビーフェイスとしてジョバーを務める。ミッドアトランティック地区ではポジションが上がりグレート・マレンコ、ブルート・バーナード、クラッシャー・ブラックウェル、ミスター・フジ、ミシェル・デュボア、ラリー・シャープらと対戦し、スティーブ・カーンともタッグを組んで活躍しました。

「怪力」セラノはベネズエラ出身のレスラーでノーテレビ時代の72年11月、「ニュー・ダイヤモンド・シリーズ」以来3年3か月ぶり2度目の来日。小柄ながらドラム缶をベアハッグでへこませたという怪力を駆使したパワーファイトを自慢にしていました。アメリカではフロリダ州を中心に、カナダ・カルガリー、オハイオ州など数多くのエリアを転戦。

2週目より特別参加のパワーズは前75年8月の「闘魂シリーズ」前半戦特別参加以来、半年ぶりの来日、前回の来日では、猪木が左膝ウィルス性関節炎(蜂窩織炎)の為、長期欠場をしており、猪木が復帰した時には既に帰国してしまい、猪木との対戦の機会はありませんでした。

8月27日、田園コロシアムで予定されていた猪木とのシングルマッチは坂口が代わって対戦、19分48秒、坂口にリングアウト負けを喫しており、坂口に借りを返すのは勿論、猪木のNWF世界ヘビー級王座を狙っての来日。シリーズ最終戦、3月18日、蔵前国技館では猪木のNWF世界ヘビー級王座に1年8か月ぶり挑みます。

ゴリアス&ゴールドマン組のプレーイング・マネージャー、マンマウンテン・カノンは72年11月、日本プロレスの「インターナショナル選手権シリーズ」以来3年3か月ぶりの来日で新日本プロレスには初登場。

アル・コステロ&ドン・ケントのザ・ファビュラス・カンガルーズのマネージャーで活躍、坂口が日本プロレス時代、ミシガン州デトロイトで修行していた時のマネージャーも務めており、坂口との親交は深く、デトロイトを中心とした五大湖地区で長く仕事をしていたところから、経営不振で団体のクローズを考えていた今回一緒に来日するパワーズのNWFと新日本プロレスを繋げたキーマンという説が有力。

アメリカではゴリアス&ゴールドマン組のマネージャーとしてロサンゼルス地区では活躍しておらず、坂口がNWFを仲介してくれた恩に報いる為に呼んだものと思われます。

日本側は前75年6月に西ドイツに海外武者修行に出ていた木戸修が8か月ぶりに凱旋帰国。さらにテクニックに磨きがかかったか?北米タッグ王座は坂口&S小林組が保持しており、猪木の新しい正パートナーの座を掴むことが出来るか?

全日本プロレスは同時期に「エキサイト・シリーズ」を開催、国際プロレスと関係が切れたAWAとは前75年12月の「オープン選手権」にバロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン、「新春ジャイアント・シリーズ」にレイ・スチーブンス、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組の「ブル・クラ」を招聘してパイプが出来ましたが、このシリーズにはS小林からIWA世界ヘビー級王座を獲得した「狼酋長」ワフー・マクダニエルが全日本プロレス初参戦。

さらに終盤戦にはAWAの帝王バーン・ガニアが「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」第1戦の相手として全日本プロレスに初登場が決まりました。

全日本プロレスとの興行戦争は後楽園ホールが先攻が開幕戦2月21日の全日本プロレス、2月27日が新日本プロレス、2月29日(モントリオール五輪開催の年で閏年)に国際プロレスも「スーパー・ファイト・シリーズ」開幕戦を行うことになっており、前75年5月以来、短期間で3団体の後楽園ホールでの興行が集中。

愛知県体育館は先攻は新日本プロレスで2月28日、後攻の全日本プロレスは9日後の3月8日に開催、東京の大会場は全日本プロレスが3月10日、日大講堂、新日本プロレスが最終戦3月18日、蔵前国技館でしのぎを削ることになります。

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