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2022年07月16日15:50

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ストロング小林さん追悼(191)

76年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」最終戦、2月6日、新日本プロレス初進出となる日本武道館(テレビ生中継、観衆12,600人満員発表)大会。テレビ生中継ということで、テレビ観戦した人も多く、残念ながら超満員にはならず。

番組の冒頭は前週の大阪で「猪木さんの仇を打つ」と宣言した坂口とシンのセミファイナル、シングルマッチ60分1本勝負からスタート、試合は12分21秒、サーベルを持ち出したシンが坂口の喉を突いて反則負け。

その後メインイベント、猪木vsルスカの「格闘技世界一決定戦」時間無制限1本勝負。レフェリーは柔道経験者ということで遠藤幸吉が務めています。

前半、猪木が見事な足払いをルスカに決めて観客席から大歓声、ルスカは寝技に引き込んで、道着をつかって強烈な裸絞め、ガッチリ入って猪木は落ちそうになりましたがロープブレイク。

テレビ生中継は試合途中で終了。猪木のラフな張り手などの攻撃に激怒したルスカは柔道着を脱いで上半身裸に。しかしこれは猪木の土俵で試合をするようなもので得策ではありません。組み付くと猪木はエアプレーン・スピン(飛行機投げ)狙いで持ち上げました。が、ルスカはこれを滑り降りると強烈な腕ひしぎ逆十字固め。

猪木は辛くもロープには逃れギブアップを免れました。ドロップキックを放っておいてからのバックドロップ3連発、戦意喪失したルスカを見たセコンドのクリス・ドールマンがタオルを投入、20分35秒、猪木のTKO勝ちに終わりました。

試合途中で放送時間が終了したことでNETには抗議の電話が殺到、視聴率は「ワールドプロレスリング」始まって以来最高の34.6%を記録。いかにこの試合に対して世間一般の関心が高かったのかを窺い知ることができました。

テレビ視聴者のことを考えれば生中継開始と同時に猪木vsルスカ戦から放送し、余った時間で坂口vsシンを放送するやり方(坂口vsシンを最終試合でやるいわゆる「逆取り」か、前座試合を削るか試合開始時間を30分前倒しにして生中継開始までに試合を終わらせて収録しておいて録画で流すかいずれか)の方がベストでしょう。

おそらく日本テレビならメインを全部視聴者に見せていたでしょうが、時が経つに連れ、これは猪木とNET「ワールドプロレスリング」中継チームは確信犯でわざと放送時間内に収まらないようにしたのでは?と考えるようになりました。

当時の1時間枠だと、実際は8時50〜51分位には放送時間が終了、その後CMが入りエンディング、CMを入れて54分にはニュース番組などになります。

この回の場合、坂口vsシン戦だけで冒頭約15分〜20分使い、CMを挟んでメインの猪木、ルスカの入場、セレモニー、両国国家吹奏からコールまでで8時35〜40分近くにはなっており、どう考えても収まる訳ないです。生中継終了後の視聴者からの苦情電話、翌週ノーカット放送までを計算に入れていたことでしょう。

インターネットがない時代なので、次の番組(この時は「大非常線」)の途中で勝敗結果の字幕が流される(のではないか?という期待)ことを考え、視聴者はNETからチャンネルを動かせず、釘付けにさせられるという計画です。テレビ局の苦情電話などはほとんど話し中でつながらないのが通例。

東スポに電話で結果を聞くのは本当のマニア層に限られたことでしょう。

午後10時過ぎには試合結果が速報で流され、猪木の勝利が画面で伝えられています。

翌週2月13日放送の「ワールドプロレスリング」では番組の冒頭から、入場シーン、セレモニー、コールをカットして試合をノーカット放送、その後札幌の北米タッグ王座決定戦が放送されました。

最終戦で初めて日本武道館のリングで試合をしたストロング小林はブルドッグ・オットーとシングルマッチで対戦、9分9秒、逆片エビ固めでギブアップ勝ち。オットーは帰国後、欧州版CWAのプロモーター兼エースレスラーとして活躍、82年8月には短期ながらニック・ボックウィンクルを破りAWA世界ヘビー級王座を獲得。

83、84年の「IWGP」にも欧州代表として参戦しましたが、83年は負傷の為途中帰国、84年は怪我で途中帰国したビッグ・ジョン・スタッドに次ぐ後ろから2番目の6点と不振を極めました。メキシコのカネックもそうですが「ご当地ヒーロー」は新日本プロレスではまず、成功出来た試しがないです。

マニアが喜ぶ星野勘太郎&山本小鉄組とジ・インフェルノス2号&3号の試合は8分15秒、小鉄が2号を体固め。3号はこれが最初で最後の来日でしたが、2号は2年8か月後の78年10月の「闘魂シリーズ」にインフェルノスの青覆面から黒覆面にコスチュームを変えて、ジ・エクスキューショナーとして参戦してきます。

スティーブ・ライトは木村たかしを6分25秒、体固めで降しました。今回は初来日時、最も多くカードが組まれ、新日本プロレスの中でも一番手が合うと思われる木戸修が海外修行中で不在であり、猪木、坂口、S小林のビッグ3との対戦が多く組まれましたが善戦健闘し高評価を得ています。

ブルータス・ムルンバは試合組まれず。あるいは札幌を最後に帰国させられたか…。

ブラジルからやってきたバーリ・トゥードの王者、イワン・ゴメスがこの日の試合を最後に新日本プロレスでの留学生期間を終えて帰国。最終戦は藤原喜明を11分49秒、逆エビ固めでギブアップ勝ちを収めました。

新日本プロレスのリングでは全勝、無敗で帰国。このシリーズでは1月8日、徳山でSライトを11分31秒、片エビ固めで破っています。得意技である「足固め」はヒールホールドとして藤原らに受け継がれ、野毛道場の財産として継承されていきました。この技が脚光を浴びるのはおよそ8年後のこと。

全日本プロレスとの興行戦争ですが、大阪府立体育会館が全日本が先攻で1月13日、馬場&鶴田組vsレイ・スチーブンス&ターザン・タイラー組、高千穂明久vsミル・マスカラス組で4,000人発表、後攻の新日本プロレスが猪木とシンのデスマッチで9,800人超満員発表で新日本プロレスの圧勝。

全日本はマスカラスとスチーブンスは前半3週間の特別参加で、終盤1週間にはディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組の「ブル・クラ」が特別参加。リソワスキーは全日本プロレス初登場。

馬場&鶴田組とのインターナショナル・タッグ王座をかけた二番勝負が1月26日愛知県体育館と最終戦1月29日、東京体育館で組まれ、名古屋が3,800人発表、東体が6,300人発表、新日本プロレスは「新春黄金シリーズ」名古屋大会はありませんでしたが、東京の大会場では日本武道館が12,600人満員発表とダブルスコアとなり、東京でも新日本プロレスが勝利。

前75年暮れに全日本プロレスの「オープン選手権」で劣勢に回った分リベンジを果たしています。
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