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2022年07月13日05:27

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ストロング小林さん追悼(187)

76年編に入る前に75年10〜12月までの12月11日を除いた新日本プロレスと全日本プロレスの興行戦争について簡単に触れておきます。

全日本プロレスは「オープン選手権」の前に11月14日、後楽園ホール〜12月4日、千葉県船橋ヘルスセンター・ローラースケート場まで「ジャイアント・シリーズ第2弾」を開催。ダスティ・ローデス&ディック・マードック組のテキサス・ジ・アウトローズ、ケン・マンテルはそのまま「オープン選手権」に残留。

札幌中島スポーツセンターは新日本プロレスが10月31日に開催、テレビ生中継で坂口征二&星野勘太郎組vsフィデル&ラウルのカステロ・ブラザーズ、猪木vsベアキャット・ライト、ストロング小林vsミスターXで7,700人(超満員発表)、4週間後の11月27日、全日本プロレスの同所大会は馬場&鶴田組にアウトローズが挑戦したインターナショナル・タッグ選手権試合がメインでこちらは4,000人発表と振るわず新日本プロレスがダブルスコア近く差をつけての完勝。

福岡大会は先攻の新日本プロレスが11月28日、久留米市福岡県立体育館のテレビ生中継、猪木&S小林組とイワン・コロフ&グレッグ・バレンタイン組、坂口vsBライトで3,700人(超満員発表)、後攻の全日本プロレスが12月9日、福岡九電記念体育館でのオープン選手権、馬場vsハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニアvsバロン・フォン・ラシク、鶴田vsホースト・ホフマンの豪華ラインナップで5,700人(超満員発表)。久留米は坂口の地元だけにどちらも相譲らなかった感じですが、全日本プロレスが2,000人差をつけての勝利。

神奈川大会は先攻の新日本プロレスが12月9日、横浜文化体育館大会、猪木&山本小鉄組vsBライト&バレンタインがメインで、ビル・ロビンソンは星野勘太郎と対戦、新日本は2,500人発表と不振。全日本プロレスは9日後の18日、川崎市体育館でオープン選手権最終戦が組まれ、こちらは4,800人(超満員発表)でこちらは文句なし全日本プロレスの圧勝でした。

東京興行戦争の前日12月10日には岐阜県での同日興行バッティング、新日本プロレスの大垣市スポーツセンターは坂口&S小林組とバレンタイン&イワン・カラマゾフ、猪木vsBライト、ロビンソンvs小鉄で2,700人発表、全日本プロレスの岐阜市民センターはレイスvsアブドーラ・ザ・ブッチャー、ラッシャー木村とドン・レオ・ジョナサン、鶴田vsマイティ井上の公式戦で4,000人の超満員発表でこちらも全日本プロレスに軍配。

全日本プロレスの「オープン選手権」は通常のシリーズとは異なる特別なシリーズですので、単純に観客動員を比較するべきでもないかとは思いますが、全日本プロレスが従来の「馬場と日本プロレス時代にインターナショナル王座を賭けて対戦したビッグネーム達との対戦」路線からこれまで着手してこなかった日本人大物対決、外国人大物対決に本格的に乗り出した転換期として観客増加したことは事実です。

全日本プロレスの外国人大物対決といえば74年1月の「NWAチャンピオン・シリーズ」でのジャック・ブリスコ、ドリー、レイスの現前元のNWA世界ヘビー級王者揃い踏みによる三つ巴の対戦、(75年12月10日、フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターでテリー・ファンクがブリスコを28分、首固めで破り第51代王者となり、史上初の兄弟揃ってのNWA世界ヘビー級王座戴冠となった。)日本側についたザ・デストロイヤーとミル・マスカラス、ブッチャーの抗争はありましたが、

「オープン選手権」でブッチャーが10点獲得し2位の準優勝になったことも特筆すべきことで、今までは馬場、デストロイヤーのライバルでしかなかったブッチャーがドリー、レイス、大木金太郎など多数の選手との抗争勃発により翌76年からはブッチャーが全日本プロレスの実質的な主役となり、来日頻度も増加。デストロイヤーとはランクが入れ替わって、「ブッチャー時代」が到来することになります。

話は変わり、新日本プロレス76年「新春黄金シリーズ」は1月2日、埼玉県越谷市体育館で開幕。タイガー・ジェット・シン、ジ・インフェルノス2号&3号、ブルドッグ・オットー(オットー・ワンツ、グラン・ラパン)、スティーブ・ライト、ザ・ブルータス(ブルータス・ムルンバ)の外国人選手が参加。  

シンは75年6月「ゴールデン・ファイト・シリーズ」以来半年ぶりの来日、前回の来日では6月26日、蔵前国技館で猪木に2−1で敗れ、NWF世界ヘビー級王座から転落、試合後には猪木の健闘を讃えて握手をし手を上げて祝福刷るなど今まで見せたことがない紳士的な一面も見せ、73年5月の観客を装って試合に乱入した初来日時から、新宿伊勢丹前襲撃事件、ランバージャック・デスマッチ、腕折り事件など一連の抗争に一区切りついた感じでした。

しかし、来日前に猪木を追って12月15日、ニューヨークMSGの会場に姿を現したり、これは多分にアングルというかフィクションの要素が強いですが、極秘裏に来日して代官山の猪木の自宅マンションに現れたなどの「ストーカー行為」に出たという情報も聞かされていました。

果たしてシンは従来通りのクレージーファイトをするのか、はたまたNWF世界ヘビー級王者時代に「ダーティチャンプ」と呼ばれることを嫌っていたことから、正統派として試合をするのか、動向が注目されます。

ジ・インフェルノス2号&3号ですが、71年8月の日本プロレス「サマー・ミステリー・シリーズ」にジ・インファーノス(表記の違いだけで同じチーム)1号&2号が初来日、今回は1号はインフェルノスから抜け、ウィリー・ギャレットがその正体であるとされる2号が、新顔である3号を連れての来日となりました。

来日前の75年12月19日にはロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで猪木&坂口組の北米タッグ王座に挑戦して反則含みながら2−0でストレート負け。3号は初来日、正体はマイク・マクマナスというレスラーとされています。今回はロサンゼルスで坂口に火炎攻撃を見舞ったマネージャーのJCダイクスが来日しない為、戦力ダウンは否めません。

ブルドッグ・オットーはオットー・ワンツの別リングネーム。43年6月、オーストリア出身の当時32歳で年齢は猪木と同じ。180cm、150Kgの巨漢レスラーでアマチュアボクシングを経て69年にプロレス入り。オーストリアを中心としたローカルヒーロー的なレスラー。

73年1月、欧州ルートから国際プロレスの「新春パイオニア・シリーズ」にグラン・ラパン(大きなウサギの意)のリングネームで初来日。ストロング小林とはこの時対戦しています。

同年8月に南アフリカ共和国に遠征、8月2日、ケープタウンでジャン・ウィルキンス(73年3月に新日本プロレスに来日)を破り初代欧州版CWA世界ヘビー級選手権者となり、持ち帰ったベルトで新興団体CWAのオーナー兼エースレスラーとして活躍中、150kgの巨体から繰り出すスチームローラーは迫力十分です。

スティーブ・ライトは前75年1〜2月の「新春黄金シリーズ」以来1年ぶり2度目の来日。52年イギリス出身の当時23歳。(生年に関しては47年生まれ、53年生まれ説もあり)ウィガンのビリー・ライレージムでキャッチアズ・キャッチキャンのレスリングを学び69年にデビュー。

イギリスのみならず西ドイツ、アメリカ西海岸地区、メキシコなどにも遠征、カール・ゴッチのブッキングで初来日、前回の来日では同じイギリス出身の先輩レスラーであるピート・ロバーツと一緒でありPロバーツとのタッグチームで活躍。93Kgという軽量ながら、ヘビー級の猪木、坂口、S小林を苦しめています。

前歴不明、新日本プロレスからの事前の宣材写真のリリースもなかった謎の初来日の黒人レスラー、シンの子分格であるザ・ブルータスは来日前の資料がほとんどなかった未知数のレスラーです。果たしてどんなファイトをするのか。初期の新日本プロレスはこのようなプロフィールが謎の外国人レスラーがよく来ていました。

1月9日、福岡九電記念体育館、1月29日、大阪府立体育会館、2月5日、札幌中島スポーツセンター、最終戦は初進出となる2月6日、日本武道館。2月5日札幌では猪木&坂口組にシン&オットー組が挑戦する(シリーズ開幕後にシンのパートナーはブルータスに変更される)北米タッグ選手権試合が行われることが発表されています。初の日本武道館大会、猪木の対戦相手はシンか、それとも…。

全日本プロレスとの興行戦争は大阪府立体育会館が全日本が1月12日、新日本が29日、東京の大会場は全日本が1月29日東京体育館、新日本が2月6日、日本武道館、75年終盤は全日本プロレスが物量作戦で反転攻勢に出て巻き返しましたが黙って見ている猪木ではないだけに観客動員の対決にも目が離せません。

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