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2022年07月12日05:04

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イザヤ28:23-29

【種まきと脱穀のたとえ話にはどのような意味かあるか】
カイルとデリッチはイザヤのたとえ話の美しさと力強さについて説明し,この「いのんど」(イザヤ28:25)というのは恐らく黒けしのことであり,クミン(25節参照)というのは現代のクミンと同じものであろうと言っている。どちらの実も,薬あるいは調味料として用いられた。
「耕すことは......地を開くと書かれているが,これは土を起こしてあぜを作ることである。まぐわをもって...土をならすのは,種をまく準備である。それゆえ,絶えず行う作業ではないが,種をまくに先立って土壌を整えるためにはどうしても必要なことである。平らに整地された土地にあぜが作られると,......次に種まきと植え付けが始まる。この作業はまた,種の種類に応じて様々な方法で行われる。...小麦の種の場合はうねに従って慎重にまく。......つまり,ほかの二つの作物のように,適当にまき散らすというようなことはせずに,うねに従ってきちんとまいていくということである。そうしなければ,伸びてきたときに密生しすぎて,互いに枯れてしまうからである。...大麦の種は,それ専用に特別に区画された畑か,あるいは立て札などで特に指定された場所にまかれる。......さらに......スペルト麦〔ライ麦〕が...その端に沿ってまかれる。つまり,スペルト麦が大麦畑の外周を作るのである。農夫はこのように天性の直観によって種まきを行う。なぜなら,天地創造のときに農耕の基を定められた神が......人間にも知恵を授けられたからである。......
(27節は),農夫たちが今なお行っていることを見ても,彼らが神から教えを受けていることがよく分かる。農夫は麦こき用の機械は使わない。......そんなことをすれば,もっと傷みやすい種類の穀物を完全にだめにしてしまうからである。代わりに棒で打つ。......パン用の麦は砕くのだろうか。砕くようなことは決してない。馬に車をつないで,...全力で作物の上を引かせたら,そのようなことにもなりかねない。......だが,農夫が畑や果物を扱う際に踏む賢明な天与の順序は,教師たる神御自身がその国民を扱う際に踏む賢明な手順を象徴している。イスラエルはエホバの畑である。エホバの懲罰は,その畑を強制的に起こし,返し,耕す『すき』や『つるはし』である。だがそれはいつまでも続くわけではない。畑がそうして緩んで軟らかくなり,再び肥沃になると,苦しみの多いすき返しは終わり,今度は様々な方法で,しかもあふれるばかりの恩籠により,恵みの種まきや植え付けが行われる。さらに言えば,イスラエルは,エホバの打ち場の子である(イザヤ21:10参照)。主は打たれる。打つばかりか,たたくことさえされる。しかし確かに打ちはするが,主はいつまでも打ち続けられるわけではない。それはカスパリが説明しているとおりである。『主は国民すべてを同じ厳しさで罰せられない。人によっては,ほかの人よりもはるかに厳しく罰せられる人もいるが,そのような人に対しても,いつまでも罰し続けるわけではなく,神の御心が果たされて,罪のもみ殻が除かれれば,罰はすぐにやむのである。そして,もみ殻以外の何物でもない極悪人と,国そのものの殼とが罰によって吹き散らされるのである。」(イザヤ1:25;29:20-21を比較)これが,このたとえの裏に隠された厳粛な教え,愛に満ちた慰めである。エホバは罰を与えられるが,それはその人が祝福にあずかれるようにするためである。エホバはふるいにはかけるが,滅ぼすことはされない。エホバは御自身の民を打つことはされず,代わりにたたかれる。また,たとえ裁きを前にしてエホバに打たれることがあっても,自ら慰めを受けることができる。決して砕かれたり損なわれたりすることがないからである。」(『注解』7: 2:14-17)
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