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2024年05月26日00:07

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イザヤ32章

【イザヤ32章 イスラエルはメシヤが帰還の準備を始められるまで荒れ廃れる】
オーソン•プラット長老は,この聖句が古代のイスラエルだけでなく末日聖徒にも当てはまると考えていた。末日聖徒も合衆国東部の家々を追い出され,ロッキー山脈の辺境にたどり着いたからである。
「イザヤよ,あなたは現在生きている民と同じように見ていたのだろうか。ある民が砂漠に行き,感謝と歌の声をささげる光景を見ていたのだろうか。その砂漠と荒れ野が不毛の状態を贖われ,エデンの園のようになる様子を見ていたのだろうか。イザヤはこう答える。『そのとおりである。わたしはそれをすべて見ていた。そしてわたしの時代の2,3千年後に生まれてくる世代のために,記録として書き残したのである。』しかし,イザヤよ,わたしたちは,民がその砂漠に集合し,神の手の器となってそこを贖うことになる,と考えていてよいのだろうか。そのとおりである。イザヤはすでにこれをすべて伝えている。もう一度イザヤの32章を読んでみようではないか。『しかし,ついには霊が上からわれわれの上にそそがれて,荒野は良き畑となり,良き畑は林のごとく見られるようになる。』良き畑とは何か。良き畑に変えられるはずの荒れ野のことである。『正義は平和を生じ,正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である。わが民は平和の家におり,安らかなすみかにおり,静かな休み所におる。』
わたしたちはミズーリやイリノイでそのような暮らしをしただろうか。それらの州で絶えず平安と信頼のうちに生活しただろうか。そうではない。イザヤが『もてあそばれ,慰めを得ない者よ』と書いているように,わたしたちはもてあそばれてきたのである。どの州であっても,シオンではどこも同じであった。それはシオンについて語る現代の啓示とも一致している。主はこう言っておられる。『町から町へ,会堂から会堂へと追われる。そして,残って受け継ぎを得る者はわずかであろう。』(教義と聖約63:31)しかし,シオンが荒れ野の中へ出かけて行く時が来れば,事態は変わることだろう。『わが民は平和の家におり,安らかなすみかにおり,静かな休み所におる』はずである。
民が山地の荒れ野に上って行ったら,中心となる都市ができるのだろうか。確かにできる。イザヤはここで次のように言っている。『しかし林はことごとく切り倒され,町もことごとく倒される。』28年前,この偉大な町の基を据えて以来,わたしは幾度そのことを考えたことであろうか。この民はこの預言の成就についてどれほど思いを巡らしてきたことであろうか。彼らはこの峡谷を挟む東西の山岳地帯では吹雪や嵐が荒れ狂う様を目にしている。まさしく冬将軍の猛威である。しかし,それと同時にこの山々のふもとに一つの町が建てられた。この町は,春は穏やかな気候の恵みを余すところなく受け,作物が損なわれてしまうようなこともない。何という違いであろうか。『しかし林はことごとく切り倒され,町もことごとく倒される。』これがエル サレムであるはずがない。パレスチナのエルサレム周辺の地域には,気候的にこれほどの較差はない。これは末日のシオン,つまり山々の上に建つシオンのことを指していたのである。」(『説教集』18:148-149)
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