mixiユーザー(id:21258650)

2022年07月09日23:44

188 view

ストロング小林さん追悼(184)

75年12月11日、日本武道館で行われた百田家主催、協力全日本プロレス、国際プロレス、日本プロレスによる「力道山13回忌追善特別試合」は14,500人(超満員発表)の観客を動員しました。

日本武道館でプロレスの興行が開催されたのは66年12月3日、日本プロレスが初来日の「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックが馬場に挑戦したインターナショナル選手権試合をメインに開催され、14,000人(超満員発表)の大観衆が詰めかけました。

日本武道館は64年東京五輪の柔道の試合場として新築され、この66年には6月30日〜7月2日にザ・ビートルズの来日公演がキョードー東京主催で開催されており、大きな注目を集めました。

都内のプロレスの1万人超収容規模のある会場としては蔵前国技館、日大講堂、東京体育館がやはり馴染みが深く日本武道館はワンランク上のハコでしたが、ビートルズ日本公演に刺激されたのと、この年の10月に豊登、猪木らが東京プロレスを旗揚げ、また日本プロレスの取締役営業部長だった吉原功と在米フリーのヒロ・マツダにより国際プロレスが設立されており、日本プロレスがこれら新興2団体に対し、力の差を誇示すべく、日本武道館開催に踏み切ったものでした。

それから9年ぶり2度目の開催となりました。当時のプロレス団体において日本武道館は「敷居の高い」会場だったと言えます。

「力道山13回忌追善特別試合」は新日本プロレスの蔵前国技館大会より30分早い午後6時試合開始。これは力道山の追悼セレモニーが入る為でした。

メインイベントは「師弟混戦タッグマッチ」60分3本勝負で、全日本プロレス「オープン選手権」で夢の対決ファン投票第1位となった馬場と鶴田が公式戦先がけてタッグマッチで対戦、馬場&ザ・デストロイヤー組vsドリー・ファンク・ジュニア&鶴田組が実現。

1本目は13分56秒、ドリーがデストロイヤーを持ち上げた瞬間、馬場がデストロイヤーの背中を押して倒し、デストロイヤーがそのままフォール、デストロイヤーがドリーを体固め。

2本目は2分27秒、デストロイヤーへドリーと鶴田が交互にダブルアーム・スープレックスを決めて鶴田が片エビ固めでデストロイヤーをフォール。

決勝の3本目、鶴田はデストロイヤーがボディスラムにきたところを首固め。しかし馬場がこれを反転させデストロイヤーを上にしてフォール。5分29秒、デストロイヤーが鶴田をエビ固めに決めてデストロイヤーが馬場のアシストを得てドリー&鶴田から1人で2本奪い馬場&デストロイヤー組が2−1で勝利を収めました。

セミファイナルは時間無制限1本勝負、大木金太郎とアブドーラ・ザ・ブッチャーの一騎討ち。両者は72年3〜4月の日本プロレス「第14回ワールド・リーグ戦」以来3年8か月ぶりの対戦。

両者が入場してから、試合前に左肩を三角巾で吊ったハーリー・レイスが観客に欠場のお詫びの挨拶。レイスは前日の12月10日、岐阜市民センターでのブッチャーとのオープン選手権公式戦で左肩を脱臼(試合は5分33秒、両者リングアウト)、この日はドン・レオ・ジョナサンとのスペシャルマッチが組まれていましたが無念の欠場で途中帰国となりオープン選手権は棄権。

そこへブッチャーがレイス殴りかかり乱闘に。レイスが引き揚げ試合開始。大木は手負いのレイスを庇いブッチャーの側頭部に頭突きの連打。ブッチャーが大木を場外に投げ落とし追いかけて場外戦となり、客席になだれ込んで乱闘となったところで5分45秒、両者リングアウトの引き分け。

この時セコンド陣に分けられリングサイドに戻ってきたブッチャーが、力道山長男の百田義浩リングアナウンサーに襲い掛かり、百田リングアナは額から大流血、この後百田リングアナは応急手当てをして、メインイベントの師弟混戦タッグマッチのリングコールを行っています。額には包帯を巻き、白のジャケットは血まみれ。それでも力道山魂を持ってリングアナを最後まで務めました。

ヒロ・マツダに国際プロレスのマイティ井上が挑戦したNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合(60分3本勝負)。マツダはこの年の6月14日、フロリダ州セントピーターズバーグでケン・マンテルを破り、11年ぶりに同王座返り咲きを果たしていました。

マツダと井上は国際プロレスで67年に井上がストロング小林と同期デビューを果たした時にマツダがエースであり、レスリングの手ほどきを受けたいわばこちらも師弟対決。

1本目はマツダが11分49秒、ジャンピング・ニーアタック、ドロップキックと畳み掛けて片エビ固めで先制、2本目は3分29秒、井上が得意のフライング・ショルダーアタックからのサマーソルトドロップを決め体固め、決勝の3本目は2分18秒、井上がマツダを肩に担いだところで、マツダがバックに廻って後方回転エビ固めに切り返しカウント3。2−1でマツダがタイトル防衛に成功しています。

国際プロレスのエース、ラッシャー木村はバロン・フォン・ラシクを11分5秒、逆エビ固めで破り、レイスと対戦予定だったジョナサンはサムソン・クツワダと対戦、10分49秒、体固めで勝利。

スケジュールの都合でこの日から参加のパット・オコーナーはミスター・レスリングと組んでダスティ・ローデス&ディック・マードック組のテキサス・ジ・アウトローズと30分1本勝負で対戦し時間切れ引き分け。

グレート草津とホースト・ホフマンのシングルマッチは11分7秒、両者リングアウトの引き分け、アントン・ヘーシンクはケン・マンテルを9分40秒、首固めで破りました。

今大会に力道山次男である百田光雄が2年に及ぶメキシコ武者修行から凱旋帰国、マシオ駒とタッグを組んで国際プロレスの鶴見五郎&米村勉(天心)組と30分1本勝負で対戦、百田は場外の米村にリングから頭からのボディアタックを決め、すばやくリングに戻り13分5秒、百田が米村に百田リングアウト勝ちしています。

これがいわゆる「トペ・スイシーダ」で百田がメキシコで修得してきた空中殺法。これより2年3か月後の78年3月、WWWFジュニア・ヘビー級王者として凱旋帰国した新日本プロレスの藤波辰巳が3月10日、福島県郡山市総合体育館でのテレビ生中継、vsロン・スター戦で披露、「ドラゴンロケット」として大きな話題を集めましたが、その原型がこの百田のトペでした。

力道山追悼セレモニーでは故人と縁の深かった伴淳三郎、田宮二郎、コロムビア・トップなどの芸能人が挨拶、歌手の竹越ひろ子が歌を披露するなど、力道山の幅広い芸能界での人脈を窺い知ることが出来ました。

新日本プロレスとの興行戦争に関しては蔵前国技館(定員11,008人)、日本武道館(定員14,214人)のキャパの違いがあり、後々、武道館には空席もあったという証言もありましたが、互角のドローだったいうことでいいと思います。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年07月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記