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2021年05月22日18:22

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読書日記Nо.1357(こんな日もある)

■古井由吉「こんな日もある 競馬徒然草」2021年2月講談社刊

本書に手が伸びたのは、ひとつには、私が10年来の日曜競馬ファンであることが
ある。ただ、馬券を買ったことはなく、専ら観る競馬なのだが。

日曜午後から新宿の紀伊国屋書店に行って本を眺めた後、喉が渇いて、立ち飲み屋
に入る習慣ができ、時はちょうど午後3時過ぎで、TVでは競馬中継が流れていて、
すっかり、馴染んでしまった。

因みに、明日はG1レースのオークスがあり、話題は、牝馬の白馬(白毛馬)の
ソダシが優勝するかどうか。その程度には詳しくなった。

本書に手が伸びたふたつめが、著者にちょっとした馴染みがあったこと。

古井由吉は、昨年2月に82歳で亡くなったが、日本文学を愛する読者にとっては
忘れられない作家である。

古井由吉は、1983年「槿(あさがお)」で、谷崎潤一郎賞を受賞した。
当時、私はその版元の出版社の大阪支社にいて、大阪文学学校での受賞記念の
講演を聞いた記憶がよみがえる。

地の底から鳴り響くような内容の講演に、痺れた記憶がある。

その古井由吉が、作家業の傍ら、根っからの競馬ファンであることに、うかつにも
私は知らなかったので、虚を突かれてしまい、本書に手が伸びた次第。

本書は、中央競馬会発行の雑誌「優駿」に、1986年から2019年まで連載された
文章の抜粋。

遅ればせながら、惹句を紹介。

“ツキにからかわれるのも、人生長い目で見れば悪いことではない。
年々歳々、馬とともに春夏秋冬をめぐり、移り変わる人と時代を見つめ続けた
作家の足跡。日本文学の巨星が三十余年にわたり書き継いだ名篇エッセイ、初書籍化。
編・解説:高橋源一郎”

“何年先のことになるやら、たとえばダービーの日のスタンドかテレビの前で、
そういえばあの男、このダービーをもう知らないんだ、と生前の私のことをちらりと
思い出す人がいるかもしれない、と今からそんなことを考えると、心細いようで、
あんがい、慰められる気持ちになる。”

“自分一個の生涯を超えて続く楽しみを持つことは、そしてその楽しみを共にする人
たちがこれからも大勢いると考えられることは、自分の生涯が先へ先へ、はるか遠く
まで送られて行く、リレーされて行くようで、ありがたいことだ。”

惹句の後半の二連は、本書を読んで、著者の文章を引用しようとした箇所で、やはり
誰が読んでも、心に残るフレーズだなと思った次第。

本書は、文庫本でもないのに、解説がついていて、高橋源ちゃんが書いているが、
なぜ源ちゃんが書いているのかといえば、文学の方ではなく、競馬エッセイで、
古井由吉さんと、つながりがあったとのこと。

その源ちゃんは、解説で次のように言う。

“古井由吉は、優れた作家だ。いや、ものすごい作家だ。けれども、ここから書く
ことについては、そのことは、それほど重要ではない、古井由吉は、それに加えて
「競馬場」の人だ。いや、それだけではない。「競馬場」において、なおも書く
人だったのだ。”

“わかっていただけるだろうか。古井由吉は、ものすごい、「人間」についての
物語を書いた。そして、同時に、「人間」ではない、サラブレッドという、別の
言葉を持たないいきものについての「物語」が支配する「競馬場」でも、「物語」
を書いたのである。”

いやぁ、感動しました。その古井由吉は、「優駿」の最終号で筆をおくにあたって
次のように述懐する。

“さて、私の月々の観戦記もこれをもって最終回となる。かれこれ三十年あまりも
続いたようだ。年年歳歳、馬とともに春秋をめぐり、いつのまにか八十余歳に
なってしまった。”その間にめぐり会った馬たちも、あらかたはあの世の天空へ、
逝ってしまった。”

“年を取ってのめっきり記憶が霞んで、とかく往年の名馬の名もとっさに思い出せぬ
ことがあるようになった。そのかわりに、条件戦に終わった馬の名がふっと浮かんで、
そのパドックを歩む姿がまざまざと見える。”

“土曜日の競馬場の、パドックと投票窓口とスタンドの間を、レースごとに往復した
頃のことが懐かしい。最終レースになってようやく観戦席に腰をおろしたこともある。
競馬場に来て初めて空を、暮れかけた空をつくづく見渡したものだ。それまでは馬に
夢中だった。”

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