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2019年08月01日21:39

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文芸大聴講[芸術と社会]第15回(前期最終回) ふたたびローマへ

8/1(木)、静岡文化芸術大学の授業[芸術と社会]の第15回聴講。これが前期授業の最終回である。

・テーマ;ふたたびローマへ〜カンパーニャの磁力を探る
・講師;小針由紀隆

これ迄、初回のガイダンスのあと、ローマ×2回、ナポリ、そしてグランドツアーという横断的なテーマを挟んでまた都市に戻り、フィレンツェ×3回、シエナ、ピサとサンジミニャーノ、ヴェネツィア、ラヴェンナ、ウルビーノ、ミラノと学んできた。
先生曰く、最後は何にしようかと考えた。他にも紹介すべき都市は多々ある、が、もう一度ローマに戻って話をしたい、市内でなくその近郊について。

ローマの城壁については、第2回で学んだ。
3世紀に着工したアウレリアヌスの城壁。
参)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971190542&owner_id=3341406

城壁の門は11〜12ヶ所ある。
そこから、各地へ伸びる街道が出ている。
◆主要街道
・アッピア旧街道:ローマのアッピア門から南へ進みカプアへ向かう道。
古代ローマ軍が、この石畳の道を通った。
道の周囲にはカサマツが植えられている。カサマツのつくる影で兵士らは休んだ。
主要街道にはマイルストーンが設置された。ローマから人の脚で1,000歩、これが1ローママイルストーンである。
・ティブルティーナ街道:ローマからポルタ・ティブルティーナ(もしくはサン・ロレンツォ)門を出て東へ進みティヴォリ(旧ティーブル)へ行く。
その先はアペニン山脈を越えアドリア海沿いのオスティア・アテルニ(現ペスカトーラ)迄。
・フラミニア街道:ローマからポポロ門を出て北へ進み、アドリア海沿いのリミニ迄行く。

◆カンパーニャ(Campagna romana)
英語ではRoman Campagnaと呼ぶ。
・ローマを取り巻くように広がる平地で、全体の面積は2,100㎢。
・北東はサビーニ山系、南東はアルバーノ丘陵、南西はティレニア海、北西はサバティーニ山地に接している。
主要街道はなだらかな平地を進み、各方面、上で書いた山地にぶつかる。そこ迄の平野をカンパーニャと呼ぶ。

南部、ナポリを含むカンパーニア州(Campania)と間違え易い。

・特質
刺々しい山がない。
黒い塊がない。
温和な色調。
散在する古代遺跡。

ex.コロー《クラウディウス帝の水道橋のあるカンパーニャ》(1826-28)/ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
コローは1825年に初めてローマを訪れた。
なだらかな地形、明るい光、柔らかな遠景。
ドービニー《カンパーニャの眺め》/ニューヨーク・ブルックリン美術館
広々とした地平線の光景。

文人、画家等にとって特別の場所。たくさんの歴史遺産が残され、素晴らしい自然もある。

◆ティヴォリ(Tivoli)
テルミニから地下鉄で東へ、地上に出てバスに乗り換え30〜40分で到着する。
・ローマの東30km強。人口は周囲を含めて5.3万人程。
・古代ローマ時代から保養地として知られ、ハドリアヌス帝や多くの貴族達によって別荘(ヴィッラ)が建てられた。
有名な3つの豪壮なヴィラは、あとで以下に紹介する。

・テヴェレに通ずるアニエーネ川はよく氾濫し、崖崩れ等被害が起こった。
19世紀になってグレゴリウス16世による大規模な土木工事が行われた。
人工的な水流を2つ造り、巨大な滝を迂回させた。

ex.ヤコブ・フィリップ・ハッケルト(独)《ティヴォリの大瀑布》(1783)

【1】 ヴィッラ・グレゴリアーナ
1835年造園。
・高低差200m超、絵のモティーフの宝庫。枝の突き出た崖の岩肌。水しぶきを上げる川の急流。木の根を露わにした赤土の地面。豪快に水を落とす滝。崖上に立つ火の神ウェスパの神殿(もしくは、神のお告げを文字に記す巫女シヴュラの神殿とも)(*)、夕焼けに染まる眺め等々、画家達の好む写生地となった。

(*)ガイウス・マエケナス(BC.70-BC.8)
古代ローマ、アウグストゥス帝の腹心政治家マエケナスがこれを建てたと言われている。
自分の建てたヴィッラに詩人・文学者等を呼び、作品制作の支援を行った。
マエケナスMaecenasは、のち仏語”メセナ”(メセナ活動)の語源となった。現代では、企業の芸術家支援活動等の意味で使われる。

ex.ユベール・ロベール《ティヴォリの滝を描く画家たち》/ニューヨーク個人蔵
アシル=エトナ・ミシャロン《ティヴォリの滝》(1821)/個人→メトロポリタン美術館に寄贈
ミシャロンはコローの師。

ギザギザ、ごつごつ、凸凹、戯れる光と影〜「ピクチャレスクの美」;
なめらかで静的なものでなく、凸凹、不規則で絶えず変化するものに現れる美。
一般人には分からないが、画家の特殊な目には見える。

→現実のモティーフを価値あるものとして肯定、見えるがままに描写しようとする態度。これが18世紀後半から風景画というカテゴリーとして確立していく。
現場で見て描く風景画。それ以前は、自然風景でも画家はアトリエで描いていた。
→こうした動きが、19世紀の自然主義につながっていく。

【2】 ヴィッラ・デステ
・16世紀後半、エステ家の枢機卿イッポリート2世は、ローマ教皇の座を巡る争いに敗れ、1550年にティヴォリで隠遁生活を送る事を決意する。
・ベネディクト会の修道院だった建物を住居とし、その周囲に大規模な庭園を造った。
・設計者ピーロ・リゴーリオは、斜面をならしアニエーネ川から地下水を引き込み、池や噴水(*)を造る。
・1572年にイッポリート2世は死ぬが、工事はまだ完成せず、続いた。

(*)オルガンの噴水
パイプに川の水を引き、その水力調節によって噴水の水の高さ等を変えた。
噴水の水は良質で飲む事ができる。

ex.藤島武二、フランスからイタリア訪問。ティヴォリの水のある風景を描いた。

【3】 ヴィッラ・アドリアーナ
・五賢帝の1人ハドリアヌス帝(76-138/在位117-138)(*)が118年に着手したティヴォリの麓に拡がる別荘。
2段階で建造、完成は133年。

(*)スペイン出身、トラヤヌス帝の庇護を受け、その後継者となる。
トラヤヌスが支配したメソポタミア方面の属州を放棄、際限のない拡大より堅実な帝国経営を志向した。

・ギリシアのアテネにあった彩色柱廊を模した「ポイキレ」。
エジプトのアレクサンドリアとカノポスを結ぶ運河を模して造った「カノポス」等。
ローマ帝国皇帝としての巡察旅行で印象強かった建造物や風景を、ティヴォリに造る。劇場、図書館、浴場、倉庫、競技場、庭園、養魚場等々。
「ポイキレ」(ギリシア語)とは、彩色された柱廊。
「海の劇場」は、そのアーチ付き柱や石像に囲まれた池の中央に島を浮かべて劇場を設置。
「カノポス」、アレクサンドリア・カノポス間の運河を模し、細長い池を造った。

◆まとめ
「カンパーニャ」とは、古代の廃墟、活力ある自然、秀逸な芸術、全ての要素が揃い、世界の人々に強い磁力を放ち続ける唯一の場所だった。

小針先生の目下の研究テーマで、強い愛情が感じられた講義だった。
 

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