mixiユーザー(id:2502883)

2019年05月25日10:13

72 view

子どもの頃の別世界と境界

 子どもの頃の行動範囲というのはたかが知れているので、少し遠くまで足を延ばしたら、そこが別世界のように見えたものである。小学校にあがる前までは、もっぱら幼稚園との往復、近所の公園や図書館くらいで、そこが私の世界すべてであった。
 たまに遠出をしたときの別世界っぽさは、鮮明に覚えている。何度も行っていればそういう記憶も薄れていたのかもしれないけれど、めったに行かなかったことが逆にイメージを定着させることにつながったのだろう。あれから四十年近く経ったいまでも、その場所を歩くと当時の雰囲気が蘇ってくる。

 私にとっての「別世界」には共通点があって、子どもが行くところだから、だいたい同世代がいる公園などの場所で、かつ線路が境界になっているということ。つまり、踏切や高架の向こうは違う世界という認識だった。繁華街なども近寄りがたい。裏路地や細道は、足音の反響と、普段の歩く道から道へ、ショートカットしている感じが面白かった。

 たとえば、ドライブや旅行で見知らぬ土地に行ったら、そここそが別世界であるはずだ。もちろん、初めて踏み入れた土地に抱く意識というのも特別なものだった。その空間を識別できるまでの奇妙な感覚がそれだ。

 ただ、日常と非日常の境界線にある場所の別世界観とは、また異なるものであった。行動範囲が広がり、かつての境界をたやすく超えられるようになったいまでも、その感覚だけは意識のなかに残されている。子どもの頃に落としてきたままの記憶が滞留しているようで、不意に意識が当時に飛ぶ。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する