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2019年05月13日15:08

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西野智彦『平成金融史』(中公新書、2019年)を読む

 平成という時代を経済の観点で見つめ直したとき、多くがネガティブな印象として映る。「バブル崩壊」「失われた十年」「デフレ」という言葉は、同時代においても繰り返されてきた。

 しかし、その時々に問題とされたこと、たとえば不良債権処理や構造改革、デフレ対策を経ても、日本経済がかつての輝きを取り戻すことはなかった。むしろ低成長が当たり前の社会として、半ば諦めとともに受け入れられているようにも思われる。

 西野智彦『平成金融史』(中公新書、2019年)は、そんな過去三十年を当時の責任者たちの証言をもとに振り返っている。著者の西野氏は、時事通信からTBS記者として活躍したジャーナリストである。新書でも、学者とジャーナリストの書いたものは、同じテーマを扱っていたとしても、視点や描き方が異なる。この本も、ちょうど新聞などの特集記事のような感じで、その当時の様子を思い出しながら読めた。


 バブル崩壊後の金融政策を振り返ってみると、対応が後手後手に回り、傷口を大きくしていったという評価になろう。しかしそれは、当時の責任者たちが無能であったことを必ずしも意味しない。

 バブル崩壊後に表れた不良債権は、担保にとった地価や証券などが大きく下落し、担保割れしたことも一因であった。その後、地価も株価も回復せず、それどころかさらに価格を落としていくことになる。
 しかし、バブル崩壊直後において、そのようなシナリオはほとんど想定されなかった。なぜなら戦後日本において、大きな不況が襲ってきても、数年後には景気は回復し、株価も上昇に転じてきたからである。地価や株価の下落がこれほどまで長期化するとは、金融当局はもちろん、メディアも私たちも全く想像できなかった。
 そのことが、不良債権処理の初動を遅らせたことは否めない。結果的に、地価も株価もさらに下落していくなかで、不良債権はさらに累積していった。早い段階で公的資金を注入するなどの対策をとれば、潰れる企業も、処理にかかる費用も少なくて済んだに違いない。

 けれども、認識や想定の甘さに加え、公的資金、すなわち税金を投入しても、事態を打開させることへの支持が、その当時、国民から得られたかといえば、これも疑問だ。「なぜ事業失敗の責任を国民の税金で処理しなければならないのか」という批判は、当然のものとして受け止められていたし、それを無視しようものなら与党は選挙で大敗しかねなかった。悪いことに、金融当局はこのとき、バブル期の不祥事が発覚して国民の信頼を失っており、政治も政界再編が進んで不安定なままだった。
 政府と与党、金融当局の支持や信頼が揺らいでいたこともまた、対策の一貫性を損ねた。

 大蔵省が主導した、いわゆる「護送船団方式」の揺らぎとともに、日銀の方針が景気対策の焦点に据えられることになったのも、この時代の特徴だろう。日銀法の改正によって、その独立性が強化されたこともこれを後押しした。
 もともと日銀は公定歩合を調整することで、市場に出回る通貨の量をコントロールしてきた。景気が過熱すれば公定歩合を上げ、悪化すればこれを下げる。しかし低金利が常態化すれば、その効果はほとんどなくなる。そこで為替や株取引を利用して、市場の通貨量を増やす金融緩和が用いられるようになった。
 しかし、経済政策は金融と財政が車の両輪のように機能してこそ、効果も生まれる。増え続ける国債の利回りや社会保障費によって、財政が果たせる役割は極めて限定的になってしまった。このアンバランスさも、平成三十年間に起きた現象である。

 不良債権処理は、1990年代前半で初動が遅れ、90年代後半にかけて金融危機を招き、拓銀や山一證券など、大手金融機関の破綻も生じた。この間の政府や大蔵省の方針も、一貫性がない。リスクが上がることで市場が投機的になり、はっきりした判断ができなくなったからだろう。
 2000年代前半は、小泉政権のもとで不良債権処理が断行された。しかしこの過程も、法や基準に則って行われたわけではなく、政治や世論の動向によって恣意的に決定された面もあった。金融に大ナタを振るうために必要だったか、あるいは劇場型政治の一幕に過ぎないかは議論が分かれよう。

 民主党政権を経て、「アベノミクス」に基づく異次元緩和が続いて久しい。しかしこれも、日銀が国債や株の購入が累積するという異常事態となっている一方、目標とする年2%の物価上昇、脱デフレは進んでいない。


 平成を「失われた十年」「失われた二十年」、さらに最近では「失われた三十年」として経済失政の時代と捉える風潮は、いまなお根強い。この本でも、「振り返れば、すべて「失敗と実験」の連続だった」と評価する。
 一方で、この本でも描かれているように、長期にわたる経済の低迷は不良債権処理だけが原因ではない。前半にはアジア通貨危機があり、後半にはリーマンショックもあった。日本経済だけでなく、世界において経済不安は毎年のように起こり、ときに大爆発してきた。いまも米中貿易摩擦の過熱が伝えられている。失政をワンイシューとして語られ過ぎているきらいもあるように思われる。

 加えて、戦前の日本経済まで視野を広げれば、日本は同じような構造的不況を長く経験している。第一次世界大戦後の戦後恐慌、昭和初期の金融恐慌、そして世界恐慌である。なるほど平成の世にも、宮澤喜一を蔵相(財務相)に迎え、「平成の高橋是清」として期待する向きがあったことは、戦前の経済を研究し、教訓とした形跡もうかがえる。それでもなお、十分な成果が得られたわけではない。経済政策には、多くのプレイヤーがこれに関わり、政治や世論の影響も考慮しなければならない。現在ではさらに情報の拡散スピードが比較にならないほど速くなった。

 言い換えれば、平成は日本経済の動向を、一国だけに注視して語り得る最後の時代だったのではないだろうか。これからは、日本の構造的問題(財政赤字や少子高齢化)だけでなく、外部要因にも翻弄されながら、経済金融の舵取りを行っていかなければならなくなる。
 それは決して順風満帆な航海とはなり得ないだろう。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/04/102541.html
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