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2019年05月03日19:03

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寝とってんおばちゃん

 亡くなった母が、戦中の疎開先に「寝とってんおばちゃん」がいたと話してくれたことがある。離れで暮らしていて、めったに表には出てこない。寝とってんとは、寝てばかりというような方言である。大人たちは、まだ幼い母にそう言っていたのだろう。
 詳しいことは分からない。ただ、何かのきっかけで心身のバランスを崩してそこにいたという話だった。そして数年後に亡くなったという。

 戦後になってもしばらくの間は、何らかの事情のある家族を表に出さないということも、しばしばあった。いまと違って、障害や福祉、介護を相談できるところや施設もなかったから、家族が面倒をみるしかない。そして世間体というものが立ちふさがっていた。一人では生活できない家族を閉じ込めたことそれ自体を責めることは簡単でも、そのときどきの事情や背景も考慮しなければ、こうした問題の本質はつかめない。

 瀬戸内海に浮かぶ大島は、明治末にハンセン病の療養所ができた。以来、中四国のハンセン病患者がここに入所してきた。世間からの偏見、そして見舞う家族もいないなかで、彼らはそこで生涯を全うした。
 いまでは、偏見を抱いてきたことへの社会的な反省も聞かれるようになった。けれども、頼るべき家族が障害年金や補償金を横領するようなケースは少なからず見受けられたという。あまり表沙汰にはできない環境のなかでは、どんな人であってもモラルが弛緩する。

 現在、障害のある人たちであっても、その程度に応じて社会に参加できる仕組みが作られてきている。その前提となるのが、家族もそのなかに加わりつつ、福祉や教育、医療の専門家たちと共同して、生活を組み立てていこうというものである。
 本人の人生を活かすのはもちろん、その責任を家族だけが負うのではなく、周囲も支えていくことによって、目に見えないところでの行為もなくしていこうというのである。多くの人たちの目があることで、本人の生活の質を保障し、周辺の不正や不法行為も防ぐ枠組みづくりである。

 もちろんそれでも、世間体みたいなものは未だに健在で、障害があってもそれを隠そうとしたり、無理をさせたりしてしまうこともある。弱者に対する差別や、日ごろのストレスを彼らに向けて事件になったことも記憶に新しい。
 しかし、日常生活を支障なく暮らしている人たちでも、何らかの事情でそれが難しくなる可能性は常にある。そして私たちは老いからも逃れられない。自分が抱いてきた偏見が、今度はみずからに向けられることがある。そう考えれば、もっと身近にこうした問題を考えることもできるのではないか。

 すこぶる健康だった母も、亡くなる半年前からは介護が必要になった。生真面目な人だったので、自分でできたことができなくなることに苛立つこともあった。今日のような初夏の陽気に、車椅子で外に連れ出すのもひと苦労だった。
 私はそのとき、母がもとのように元気になることを祈る毎日だったけれど、同時にそれまで祖父母や父の面倒を献身的に看てきた母ですら、弱ってしまうことがあることに少なからずショックも受けていた。自分もいつか、誰かに面倒をかけてしまう。そうなる前に、いろいろなことをオープンにして、負担も分かち合えるようなかたちをとりたいと思った。障害や老いは他人事ではない。常に自分と背中合わせにある。

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■精神障害者を小屋に閉じ込め 闇に埋もれた「私宅監置」
(朝日新聞デジタル - 05月03日 12:26)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5605582
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