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2019年02月02日15:47

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森進一が歌うフランク永井の「有楽町で逢いましょう」などはいかがだろうか

 森進一が1972(S47)年に吉田正の名曲のカバーとして、アルバム「再会」をリリースしている。フランク永井の恩師吉田正と同じビクターでも森進一はターゲットの微妙な違いから、互いに別路線で走ってきていた。
 フランク永井と松尾和子のように吉田正ラインが明確なコンビにたいして、森進一はレコードのレーベルはビクターでありながらもデビュー時の事務所は渡辺プロダクションであったり、当時同じくため息路線でデビューした青江三奈とともに走ってきた歌手だ。
 「女のため息」作曲の猪俣公章「おふくろさん」作詞の川内康範の印象が強いが、森進一が現在までに歌謡曲の歴史に残した足跡は半端じゃないものがある。彼は流行歌の歌手であることを主張しているが、当然艶歌とかポップス系のものにも幅広く手を広げて実績を残している。
 デビュー当時恩師でもあったチャーリー石黒に勧められて、逃げた女房の一節太郎と同様に声を潰した。この歌詞、この譜面から誰が歌えばこんな歌になるという普通に期待する歌があるが、森は必ずその期待を超えた、裏切りをする。
 それは森がその歌を自分で解釈し自分の表現に変える力を持っているからに違いない。強烈な個性を持つだけに、ファン層も別れ気味だが、並みを超えたパワー持ち主であることには変わりない。
 カバー曲をどう歌いこなせるかということに、よくその人の実力が現れる。森はさまざまな方向の歌手や歌のカバーを残している。その代表的な一つは古賀政男の曲をあつめた「影を慕いて」(1968(S43))だ。従来の懐かしのメロディーに異様な表現をあたえたことで、彼の歌唱が評価された。
 そのような森進一が同じビクターの帝王吉田正のメロディーに挑まないわけがない。吉田正といえば弟子の筆頭は鶴田浩二かもしれないが、彼は別格で、フランク永井や松尾和子ははずせない。むしろ中心的なものになる。
 というわけで、このアルバムのタイトルにもなっている「再会」をスタートにしている。鶴田、橋幸夫の曲を加えた12曲が楽しめる。
  01_再会(元:松尾和子)
  02_好きだった(元:鶴田浩二)
  03_寒い朝(元:吉永小百合/橋幸夫)
  04_夜霧の第二国道(フランク永井)
  05_有楽町で逢いましょう(フランク永井)
  06_西銀座駅前(フランク永井)
  07_赤と黒のブルース(元:鶴田浩二)
  08_誰よりも君を愛す(元:和田弘とマヒナスターズ/松尾和子)
  09_東京午前三時(フランク永井)
  10_舞妓はん(元:橋幸夫)
  11_江梨子(元:橋幸夫)
  12_街のサンドイッチマン(元:鶴田浩二)
 フランク永井の曲では初期の4つの代表的な曲が歌われている。
 レコーディングに3日かかったという。自ら立ち会った吉田正は「うまい。自分を追いつめて解釈した情感がじわじわとにじみ出てくるようだ」とほめている。歌唱に際しては注文をださずに、森に自由に歌わせた。
 アルバムの解説は山上敬三が書いている。そこで「有楽町であいましょう」についてエピソードを披露している。順調にレコーディングが進んで、周囲がOKを出した「有楽町で逢いましょう」直後に、森はふと躊躇をみせ、もう一回歌いたいと言って別テークを取ったという。
 取り直したのは森節がいっそう強調というよりも、がらりと雰囲気が変わったものでよりソフトなものだったという。それはそれで周囲をおおいに感心させる歌唱だった。だが、最終的に吉田正は、最初のテークを採用したとのことだ。
 アルバム全体の統一性ということもあるし、吉田の代表的な曲でもある「有楽町で逢いましょう」を森が歌うというときの、期待して購入して聴く聴衆の印象への思いからだ。
 捨てがたいものでも、いずれかを選択をせざるを得ない問題を大先生に思わせる。ここにこのアルバムの価値がある。森の真価が現れているようだ。ファンにとってみれば、ここまで聞かされて、ここで捨てがたくも没になったバージョンを聴いてみたくなる。
 このアルバムはフランク永井の歌でも、同じビクターオーケストラが演奏しているとはいえ、編曲が竹村次郎、小谷充の手によるもので、その微妙な違いも楽しめる。2009年にCD化された。

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