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2019年01月31日21:32

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君塚直隆『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書、2019年)を読む

 君塚直隆『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書、2019年)を読む。まず、読み物としてとても面白い本だった。15世紀から20世紀前半までの期間を八つに章立てているのだけれど、その時代ごとに生きた人物の列伝のように仕立てている。たとえば、第一章はレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯から、ルネサンスの時代を描く。そしてダ・ヴィンチが活躍した頃に生を受けたのが、第二章の「主人公」であるマルティン・ルター。こうしたリレー方式みたいなかたちで、第一次世界大戦終結まで進んでいく。といっても、各章の内容は、ダ・ヴィンチやルターの話だけでなく、その時代の主な出来事を巧みに関連づけている。これはなかなかできることではない。
 通史というと、やたらと登場人物や政権、戦争などの名称が出てきてこんがらがることも多い。しかしこの本では、列伝を組み合わせることで分かりやすく「ストーリー」として仕上がっていた。

 また、全体の底流には、宗教(キリスト教)と個人、理性との関係とその変遷があるように思われる。教会のもとに神と人との関係が秩序づけられていたものが、ルネサンスや宗教改革を経て、個人が前面に登場しはじめる。自然科学の発達、啓蒙主義の広がり、そして革命の季節が訪れる。ヨーロッパにおいて科学が市民権を得る時代の代表として、ガリレオ・ガリレイが(第三章)、宗教的寛容が唱えられ、啓蒙思想が広がった時代の代表に、ジョン・ロック(第四章)とヴォルテール(第五章)が、そしてフランス革命の時代、近代文学を打ちたてながら保守政治家の立場は崩さなかったヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテを登場させる(第六章)。

 「進化論」を唱えたチャールズ・ロバート・ダーウィンの生きた19世紀は、人が神によって作られたという「常識」すらも、科学的視点から受け入れられるようになっていった。しかし他方で、社会もまた同じメカニズムをとるという考え方も受け入れられていき、帝国主義が一層進められることにもつながった(第七章)。その極限で起きたことが第一次世界大戦であり、ロシア革命であった。ソ連を打ちたてるレーニンは、宗教を否定した(第八章)。かくしてヨーロッパの近代は、宗教的寛容から否定へ、個人と社会の相剋に直面するなかで終焉を迎えるのである。


 この本を書いた君塚先生は、先に『イギリス二大政党制への道』(有斐閣、1998年)を書いているけれど、これは私がイギリス近代史に惹きつけられるきっかけになった一冊である。
 そこでは王と議会の関係、そして議会内の勢力関係も不安定だった19世紀半ば、長老政治家が超党派的な立場から事態を調整する役割を果たしていたことが描かれていた。これを読んだとき、私は日本近代史の元老と非常に似通っていることに驚き、近代への関心や視野を世界史まで広げさせてくれた。君塚先生の本はそれ以来、専門書も含めて読むようになる。『ヴィクトリア女王』(中公新書、2007年)や『ジョージ五世』(日経プレミアシリーズ、2011年)は、家族としての顔、国王としての立場を鮮やかに描いた評伝であり、『物語イギリスの歴史』(上下巻、中公新書、2015年)は文字通り、イギリスの通史を新書で書かれている。

 『ヨーロッパ近代史』が一般的な通史とは違う面白さがあるのも、これらの本と同じく、独特の視点に基づく文章のうまさ、幅広い知識ゆえのことだと思う。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480071880/
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