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2019年01月25日20:05

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服部龍二『高坂正堯』(中公新書、2018年)を読む

 服部龍二『高坂正堯』(中公新書、2018年)を読む。戦後の代表的な国際政治学者・高坂正堯の評伝である。その生い立ちから、28歳で論壇に鮮烈なデビューを飾り、佐藤栄作、大平正芳、中曽根康弘らの政権でブレーンとして活躍したこと、そしてその早すぎる死も描く。

 高坂が亡くなった1996年は、同じく司馬遼太郎や丸山眞男も世を去っている。戦後を代表する作家、知識人が相次いで亡くなるとともに、その前年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件も起きている。いまから振り返ると、戦後を分かつ画期だったのかもしれない。

 高坂の顔や声は、テレビの討論番組でおなじみのもので、私もそれを通じて知っていた。ただ、彼の本を読み、その思想、知識に触れることになるのは、亡くなったあとのことだった。もっとも、1990年代末になると、高坂の本でも一部は手に入りにくくなっていた。そんなわけで、池袋のジュンク堂書店にあった『高坂正堯著作集』全八巻を一気に購入して、読みふけることにした。そのなかの『古典外交の成熟と崩壊』は特に、夢中になって読んだ。そういうこともあって、私の国際政治についての理解には、根っこにおいて高坂の影響を強く受けていると思う。

 このように、高坂正堯への関心が元々あったため、この本はスムーズに読むことができた。逆に高坂を知らない人にとっては、スタンダードに高坂の業績と考えに触れることができると思う。

 全部を読んで感じることは、まず「高坂のあとに高坂なし」というものだ。国際政治学のフロントランナーであったがゆえに、近代ヨーロッパ政治史から吉田茂の評価、日本政治及び国際政治の時評など、幅広い分野での活動が可能だった。もちろん、それを可能にするだけの学識があったのは言うまでもない。
 ただ現在、国際政治学も細分化され、大上段にものを語れる余地はどんどん狭まってきている。大学の教員は研究の傍らで事務に忙殺され、テレビに映る専門家はある意味においてタレント的になっている。大学で研究をしながら教鞭をとり、弟子を育てつつ、論壇、メディアなどにも登場するというマルチな活躍ができる学者は、もはや存在しない。

 もうひとつ、高坂は現実主義的な立ち位置にある一方で、バランス感覚に優れた学者であった。ところが最晩年、冷戦後になるとその言説が鋭くなっていく。一国平和主義から、国連のPKO、PKFへの参加を促し、日本の将来についても、悲観的な言葉を漏らすようになる。
 同じように司馬遼太郎もまた、晩年に日本の現状を否定的に捉えていたことも思い出される。バブルの狂騒とその崩壊、冷戦の終結と湾岸戦争のショックなど、戦後日本の前提となる構造が急速に消失していた。日本はその変化に対応できぬままにいたことが、彼らの危機感を強めたのかもしれない。

 高坂の本は、1990年代末よりもむしろ現在のほうが手に入りやすい。品切れや絶版になっていたものも、再販や改訂版が相次いで出ている。私もこの機会に、再読してみたいと思っている。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2018/10/102512.html
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