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2019年01月07日22:53

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既存メディアとSNS

 インターネットというか、SNSがここまで普及する前は、週刊誌で少しくらい煽情的な表現が踊っていたとしても、ここまで批判は広がらなかったに違いない。いまは、個人の言動にせよ、マスメディアの姿勢にせよ、ネットに上がれば一気に拡散する。それはときに「炎上」につながる。

 既存のメディアにとって、インターネットの普及とSNSの発達は、ひとつには新たな媒体の登場という、いわばライバル関係として当初は理解されていた。テレビの登場がラジオや新聞の構造に変化をもたらしたように、雑誌にしても棲み分けが模索された。
 しかし現在はむしろ、インターネットはメディアを取り巻く環境を形づくるものとして理解したほうがいいかもしれない。つまり、対抗するようなものではなく、ネットのあり方を自明のものとして生き残りを図っていかなければならなくなっている。

 したがって、少し前なら読者の好奇心を喚起するような、少し大げさな表現も、それが個々の読者だけにとどまるのではなく、周囲に拡散する可能性が常にある。既存のメディアに携わる人たちもこのことに自覚的でなければいけない。ただ、その線引きは簡単ではない。全体的に部数が落ち込んできている雑誌媒体にとって、読者に関心をもってもらわないと尻すぼみになる。

 今回のケースは、そうした小難しいこと以前に、下品で前時代的だから批判された。私が抱いた感想は、ネットが普及する前、こんな煽りが紙面に踊っていたなというもので、率直に古臭い、ダサいという印象である。
 ただ、そういう感想になるのも、いまの社会や環境が前提にあるからで、その時代の変化にメディアはもっと鋭敏でなければいけないのだと思う。確かに、情報の速報性、情報そのものの量にしても、既存の雑誌が生き残る余地は限られている。しかしその変化についていけなければ、真っ先に淘汰されてしまうだろう。かつて多くの部数を誇った雑誌も、休刊、廃刊が相次いでいる。

 個人的に、雑誌はこれからも生き残った欲しいと思う。速報性や情報量で太刀打ちできないとしても、雑誌としてまとまったものは、その瞬間を写すカメラと同じく、紙面に時代が反映されているからだ。ネットは消費された情報は、気がつけば消えてしまっているし、残る保証もない。その点は紙として残る媒体に強みがある。
 いまの社会がどう変化しているのか、そこにアンテナを張るとともに、自分もまた取材する側というだけでなく、周囲から見られている存在だという自覚をもって、後世に残るいい記事を作ってほしい。

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■週刊SPA!「扇情的な表現お詫び」 女性軽視との批判
(朝日新聞デジタル - 01月07日 20:34)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5447460
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