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2019年01月01日13:53

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鉄道敷設と初詣

 今年は元旦に江島神社に初詣。風もなくよく晴れていて、江の島からは海を隔てて富士山がよく見えた。江島神社は近世、弁才天信仰が盛んなところだったので、いまもそのままかと思っていたら、近代になって宗像三女神を祀る神社に変わったようである。このあたり、広島の厳島神社(宮島)と同じようで興味深い。

 もともと初詣は、近代に入ってから「国民的行事」になったものに過ぎない。近世は、恵方詣りが一般的だった。すなわち、元日に居住地からみて恵方とされる寺社へお参りに行って、その年の幸福を祈るものだった。そのため、年ごとに異なる方角の寺社を巡ることになるけれど、敢えて同じところに参拝するため、そこが恵方になるように道を変えることもあったそうだ。ただ、正月の恵方詣りは関東の文化で、関西では節分に行うといった違いもあったようだ。

 それが現在のかたちになったのは、鉄道の普及によって、少し遠くても大きな神社仏閣に詣でることができるようになったからである。大きな神社や寺院の近くに鉄道の駅があるのも、偶然ではない。明治から大正にかけて、乱立する鉄道会社は競合して、恵方詣りのお客さんを呼び込んだ。
 そもそも、鉄道がない時代に、有名だからといって正月に遠い神社やお寺に出向く人は少なかった。それが鉄道の普及によって慣習化されたわけだ。

 現在では、恵方という考え方も、節分に巻きずしを食べることくらいでしか知る必要もなくなった。恵方巻自体も、ローカルな風習がコンビニその他の宣伝で全国展開したものである。結果的に正月に大きな神社仏閣に詣でる=初詣というかたちになり、特に大きな神社にとって、それは収入源にもなっている。
 鉄道はその後、人びとの通勤の足として活躍するようになるけれど、その敷設には観光地(寺社仏閣)と都市をつなぐことを、そもそもの目的としたケースが多かったということだ。これは地方でも同じことがいえる。郷里でも、大きな神社やお寺と街を結ぶように鉄道が敷かれていて、だいたいが旧街道に沿ってもいる。

 根本的なところでは、正月という日に神仏にお詣りすることが、合理的だと人びとにも受け入れられたからだろう。しかし本来は、家族とゆっくり過ごして、親しい人を訪問したり、また訪問を受けたりして挨拶を交わすような正月の風景は、初詣、帰省、初売りと、ゆっくりしている暇もなくなってしまった。もう少しのんびりしたほうがいいような気もするのだけれど。
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