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2017年01月16日23:26

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『鶴瓶の家族に乾杯』〜私的補足

今晩1/16(月)のNHK総合『鶴瓶の家族に乾杯』「静岡県浜松市北区」編(演出 高良航)は、私の地元を巡るとの事、且つ、新大河ドラマの主人公を演ずる柴崎コウが笑福亭鶴瓶と同行するとの事で、井伊直虎ゆかりの場所があれこれ映し出されるかと期待したが、残念ながらそうはならなかった。
北区奥浜名湖近辺の人々との交流が生まれ、それはそれで大変に良かったのだが、私は私で、少しばかり補足をしておこうと思う。

番組で紹介された「渭伊(いい)神社」は、昨晩レポートした龍潭寺から北西方向へ歩いて15分程、神宮寺川の湾曲した付近にある。
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この辺りは、古来水が豊かで、井水や井戸を祀りの対象とした。
古くは、今より遥かに広かった龍潭寺境内の中にあったが、南北朝時代(?)に遷座されたとの言い伝えもある。
神社のすぐ裏山には古墳時代の「天白磐座遺跡」があり、7m〜5m程の巨石がいくつも並んでいる。
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ここに神が降り立ったとの神話伝承があり、信仰を集めてきたと言う。
発掘調査によれば、土器等も出てきたそうだ。
最近はパワースポットとしても知られるようになった由。

こうした巨石祭祀の遺跡は、全国に多数ある。
浜名湖周辺にも、湖西に「神座古墳群」と言われるものがあり、一昨年2015年4月に行ったのだった。、
参)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941229258&owner_id=3341406


以下は番組では触れられていないが、備忘の為のメモとして。

龍潭寺から逆に南へ3分程歩くと、井伊家の始祖「共保公出生の井戸」なるものがある。
田んぼの中に、低い白壁を巡らしていて、よく目立つ。
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1010年に共保がこの井戸から生まれたとの伝説の場所である。
勿論、井戸から生まれる訳はなく、先に述べたこの辺りの井水信仰が重なっているのだろう。捨て子だったとの伝承もある。
当初はこの辺りに井伊の居城があったのだそうで、外堀の跡もあると言われるが、それは確認できなかった。
水害も多かったので、次第に高い場所に館も城も移動したと、龍潭寺の現住職武藤宗甫が言っていた。(『磯田道史と行く井伊直虎ゆかりの地めぐり』後編)

井伊氏発生のシンボル的な場所として、近在の人達は大事にここを守ってきたのだろう。それがこの白塀に現れている。

この井戸から北を見ると、龍潭寺、そして遥か向こうに井伊谷城址のある山が一直線に並んでいるのが判る。

塀の中には、共保が生まれたと言われる四角形の石の井戸があり、その脇には橘の木がある。
この事から、井伊氏は井戸の井型を旗印にし、橘を家紋にしたのである。

はるか後代の井伊直弼も、この地を大事にし、1851年に来た時には、井戸を歌に詠んでいる。

 わきいづる岩井の水のそこ清み
   くもりなき世の影ぞ見えつつ

その歌碑も、平成に入り1991年に整備されている。

直弼は、1/12(木)の日記に書いたが、直親の墓前に灯籠を寄進してもいる。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958018510&owner_id=3341406
 
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