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2016年07月30日12:07

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フランク永井活躍時代の懐かしいグッズいろいろ

 別項で紹介した「フランク永井前橋鉛筆画展示室」を訪れると、筆者らの年代であると懐かしいものに浸れる気がする。入り口をくぐると、まるで町医者の受付のような雰囲気がする。展示室になっているところは、確かに以前は町の医院だったそうだ。そして、まず飛び込んでくるのは、フランク永井の出演した映画のポスターだ。
 レコードのジャケットもコピーが数多く貼ってある。また活躍していた時代の珍しい多くの写真。いよいよドアを開けて展示室に入ると、品川さんが熱意をこめて描画したフランク永井の鉛筆画が室内を幾重にもとりまくように展示している。
 コーナーには所蔵の遺品やレコード類が整理されておいている。いつもフランク永井の曲がいい音質で流れている。展示棚には映画の台本が数多く並んでいる。ラジオやテレビでフランク永井がメインを務めていたときのシナリオ類もある。どうしてこのようなものが、こんなに並べられているのかと驚くほどである。
 そのようなことで、ここを訪れると、フランク永井が活躍していた、数十年前にいっきにワープしたような不思議な気持ちがよみがえる。
 フランク永井のデビューは1955(S30)年で、戦争で荒廃したなかから必死で立ち直り、再建に励んでいたころだ。2年後に「有楽町で逢いましょう」で人気を得た。これにより、流行歌に転向して最初に歌った「場末のペット吹き」からレコードがさかのぼって売れた。
 映画はつぎつぎと作られ、主題歌を歌い、出演したものが数十本に及んだ。面白いように歌はヒットし、全国的に公演でひっぱりだこにあった。多くのひとびとが、映画、ラジオ、ドラマ、歌、グラビアを求めたのだ。
 筆者らはまだ中学生や高校生、ようやく仕事に就いたような年代。雑誌の付録でも歌の小冊子があふれていた。地面にくぎをさして遊んだりもしたが、コマやメンコも流行った。みなたわいないこのような遊びに夢中だった。そうした子ども対象のメンコにも、なぜか大人の歌手や俳優の絵があふれていた。
 フランク永井が関係した映画は、残念なことにその多くは現在見ることはできない。映画館やテレビで復刻再演されるのは限られている。「有楽町で逢いましょう」「たそがれのテレビ塔」「夜霧に消えたチャコ」「西銀座駅前」「沓掛時次郎」「好き好き好き」といったところだ。
 ファンにとっては他のも観たいものだが、現代日本の社会で再現するにはふさわしくない映像、セリフが多いということだろう。当時の時代では娯楽として当然視されていたものが、わずか何年か経過しただけで、そんなことになってしまうのかと嘆きたいところだ。
 例えばタバコ。タバコをいつも口にくわえている。タバコが撮影映像のひとつのポーズ撮りの大切なアイテムでもあった。さらに、くわえタバコで運転し、吸殻を窓から火が付いたままポイ捨てする。
 同様なことはお酒。お酒を飲んで運転もおとがめなしような雰囲気。さらには酒場での大ケンカと大立ち回り。さらには拳銃を持っているの当たり前のような、当時ここはどこの国なのかというような、娑婆をめぐっての争いが当然のようなシーン。
 女性に対しての男のセリフも問題だらけ。今でいうセクハラ発言の連発。もちろん、女性の粋なシーンも多いのだが、全体として構成はなかなか現代にはなじまないといったのが多い。
 それらは、当時ヒットした歌の勢いで柳の下のどじょうを何度でも掬い取ってやろうというような、安易な発想で軽い娯楽番組として多生産しようとした背景があったことだ。否定しえない日本の娯楽文化の存在である。
 だが、それを単に煙ったく退けるという現代の姿勢もいかがなものかと思うのだが。庶民文化史の事実として、きちんとアーカイブし、いつでも閲覧研究の資料とできるようにしてこそ、正当な評価が可能になるのではなかろうか。
 やや横道にそれた感があるが「フランク永井前橋鉛筆画展示室」に、そうした貴重ともいえる多くのグッズが寄せられ、展示されていることに感心した。
(※写真は参考です。映画台本、メンコ以外展示室ですべてが閲覧できるものではありません)

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