82年3月31日、村上市民会館では馬場はビル・ロビンソンと対戦。場外戦となりロビンソンはリング下で馬場にワンハンド・バックブリーカーを決めましたが自らも左膝を痛めてリングに戻れず10分57秒に両者リングアウト。
馬場はこれで2日連続の無得点試合となり12点のまま足踏み、ロビンソンは15点で変わらず首位。
ブルーザー・ブロディはロッキー羽田を1分5秒キングコング・ニードロップで破って12点と追い上げていきます。
天龍はアレックス・スミルノフに反則勝ちを収め13点と連敗は3でストップ。
4月9日、鳥取市民体育館でのテレビ収録では馬場と鶴田が年に1度の師弟対決で30分時間切れ引き分け。馬場、鶴田共に21点。
翌年からリーグ戦形式を休止してしまった為これが最後の師弟シングル対決となった訳です。
ブロディはテッド・デビアスと対戦、9分59秒、キングコング・ニードロップから体固めで勝利、22点で首位へ。負けたデビアスはスミルノフ、モンゴリアン・ストンパーから反則勝ちを拾うなど確実に白星を重ねて16点。
ロビンソンはストンパーに反則勝ちで21点。
4月10日、兵庫県八鹿町体育館でロビンソンはバック・ロブレイと両者リングアウトの無得点試合となり一歩後退。
4月11日、津山市総合体育館で予定されていたブロディとロブレイの対戦はロブレイがブロディのマネージャーだと言うことを理由に対戦を棄権しブロディに白星献上しこれでブロディは24点。
馬場は八鹿で佐藤昭雄、津山でプリンス・トンガを連破し25点。
4月12日、今治市公会堂で予定されていた石川隆士と佐藤のアジア・タッグ王者チーム同士対決、グレート小鹿と大熊元司の極道コンビ対決は共にパートナー同士だから戦いたくないという理由で両者不戦敗となり、マッチメークにも杜撰さが見えて来ます。
ロブレイも試合には出場していましたが、ブロディへ不戦勝を献上した後はリーグ戦を棄権し残っていたマイティ井上との最後の公式戦は不戦敗となっています。
この日、ビル・ハワードを足4の字固めで破ったデビアスが24点を挙げて優勝戦線に食い込んで来ました。
ロビンソンはスミルノフから反則勝ちを挙げたものの、23点と自力優勝は厳しくなりました。
4月13日、宇和島市営闘牛場では鶴田が佐藤をカナディアン・バックブリーカーで破り25点。天龍は羽田に勝ち23点。
ブロディは石川を1分48秒で倒し26点。
これで公式戦最終日の4月16日、福岡国際センター大会を前にしてロビンソンが脱落。
優勝の行方は26点のブロディ、25点の馬場、鶴田他力本願ながら24点のデビアスに絞られて来ました。
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